2013年8月31日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (137) 「キモマ沼・猿骨沼・知来別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

キモマ沼

kim(-un)-oma-to?
山(・にある)・そこにある・沼
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
猿払村の真ん中あたり、かつて国鉄天北線の猿払駅のあった近くに「ポロ沼」がありますが、その「ポロ沼」(大沼)に繋がっている小沼の名前です。「ポロ沼」に繋がる小沼なら「ポン沼」と呼ばれても良さそうなものですが、ここは何故か「キモマ沼」という名前のようです。さて、その意味は……。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

西に小さなキモマ湖がつらなっている。キムン・オマ・トー(山にある沼)の訛り。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.192 より引用)
ふむふむ。kim-un-oma-to で「山にある・そこにある・沼」ですか……。うーん、unoma が被るような気もしますね。実際の音も「キムン」ですから、ここは素直に kim-oma-to で「山・そこにある・沼」と考えた方が良さそうな気もしますね。キモマ沼だけに(←

猿骨沼(さるこつぬま)

sar-e-u-kot??
葭原・そこで・お互いに・くっついている
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
日本最北の村「猿払村」には、その名の通り湿地帯や沼が多いのですが、猿骨沼もそのひとつです。サルの骨というのも凄いネーミングですが、さてその意味するところは……。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

 猿払村北辺の地名,川名,沼名。明治31年の5万分図で見ると,現在の猿骨川の川口に当たる海岸にシャレウコッ,そこから猿骨川を2キロ上った処の北側の沼(今の猿骨沼)にシャレウコットー(シャレウコッの・沼)と書かれている。アイヌ語ではシャもサと同音であるので,これから猿骨の名が出たものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.167 より引用)
ふむふむ、「シャレウコッ」ですか。一体どんな意味なのでしょう……。続きを見てみましょう。

 この古い5万分図で見ると,猿骨川の川下は海岸に沿って長く南流し,逆に南から海岸に沿って北流していた猿払川の川下と合流してから海に入っていた。この二川は共にサㇽ(sar 葭原)の川であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.167 より引用)
確かに「猿骨川」の南側に「猿払川」があります。現在の猿骨川は「猿骨橋」からまっすぐオホーツク海に注いでいますが、確かに河口の南側に、砂浜に沿う形に沼があるように見えます。

それから考えると,シャレウコッは sar-e-ukot「葭原(川)が・そこで・くっついている(合流している)」と読まれるので,つまり合流点のことだったのではなかろうか。それが北側の方の川の名となり,猿骨川の名のもとになったのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.167 より引用)
おー、確かに「シャレウコッ」という音からは sar-e-u-kot と解釈できそうな感じです。似たような地名に「興部」(o-u-kot-pe)がありますが、これは「河口・お互いに・くっついている・もの」と読み解けます。

では、sar-e-u-kot だとどうなるのでしょう? 「葭原・そこで・お互いに・くっついている」となりそうですが、「そこでお互いにくっつく葭原」というのが、今ひとつしっくり来ない感じもしますね……。その辺の違和感は山田さんも拭いきれなかったのか、「葭原(川)」と解釈していますね。ちょいと拡大解釈っぽい感もしますが……。

知来別(ちらいべつ)

chiray-pet
イトウ(魚)・川
(典拠あり、類型多数)
「猿骨」で思いの外に手間取ったので、次こそあっさりと。chiray-pet で「イトウ(魚)・川」なのでしょうね。

では、今回は「アイヌ語地名解」から。

 猿払村字知来別は稚内市宗谷村に接したオホーツク海岸の市街地である。地名のチライペツはいとおの川の意味で『蝦夷語地名解』では「いと魚川。長さ四・五尺ノ「イト」魚アリと云フ」とあるように、昔は大きないとおがたくさんいたので、付近のアイヌの漁場であったところから名づけられたものである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.192 より引用)※ 強調は原著者による
はい。間違いなさそうですね。ついでに「北海道の地名」からも。

 宗谷郡猿払村北辺の川名,地名,沼名。チライ・ペッ(chirai-pet いとう魚の・川)の意。松浦図ではチライヲツと書かれた。チライ・オッ(chirai-ot いとう魚が・多くいる) の意。川尻は今漁船のよい泊地になっている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.167 より引用)
ふむふむ。二通りの解釈があるようですが、まぁ、どちらも似たようなものなので問題無いでしょう!

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2013年8月30日金曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (91) 「通行止めブログの本領を発揮」

この先は通行止めです

礼文町は元地の、道道 765 号線の終点近くまでやってきました。ここから先は車で行くのは厳しそうだったので、車を停めて、てくてくと歩いていたのですが……。
この写真ではちょっと分かりづらいのですが、ネットが張られていて……
はい。「この先は通行止めです」とあります。もう少し歩いてみたかったのですが、通行止めだったら仕方が無いですよね。
そうですね。立ち入るのは止しておきましょう。それはそうと、久しぶりに「通行止めブログ」の本領を発揮したような気がしますね(いつからそうなった)。

道無き道を規制し

ちなみに、元地の集落の手前あたりに、こんな看板がありました。
「この先 4.2 km 区間は」とあるのですが、どう見ても 4.2 km も道路があったようには見えないのですね。地形図で見てみても、
この先は「けもの道」すら記載されていません。うーん、一体どういうことなんでしょう。

この先 4.2 km

ま、そんなことで悩んでいても仕方が無いので、車に戻ってリスタートです。
あれ、この警告は……
「この先 4.2 km 区間は」というところからして、全く同一の文言のようです。ただ、来るときに見えた警告板が、すぐ向こう側に見えているんですよね(ちょうど裏を向いていますが)。これは……どういうことなんでしょう。まさか、間違えて設置したなんてオチだったりして……。

ちなみに、香深までは約 6 km の道のりですから、「桃岩トンネル」を中心とした前後 4.2 km が規制の対象なのでしょうね。
さぁ、香深に戻りましょう。

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2013年8月29日木曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (90) 「波打ち際に佇む」

波打ち際に佇む

礼文島の西海岸に位置する「元地」集落の中をゆっくりと進みます。
左の方に、海を眺めて佇んでいる方がいらっしゃいますね……。こちらです。
どことなく、口が半開きのようにも見えなくも無いですが……(どうでもいい)。

元地の先は……

そろそろ、元地の集落を抜けそうな感じです。
抜けた先は……
あ。行き止まりでした。
ということで、ちゃちゃっと車の向きを変えて、記念撮影など。

この先「地蔵岩」

この先を、少し歩いて行くと「地蔵岩」なる岩があるらしいです。
……とまぁ、それは良いのですが、この案内の端の方に赤字で書かれている謎のお願いが気になってしまってですね。
どこにどうコインを差し込もうとするのか、さっぱり見当がつかないのですが……。

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2013年8月28日水曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (89) 「道道元地香深線」

あと 0.1 km

というわけで、礼文島西海岸にある「元地」の集落に近づいてきました。
元地まで僅か 0.1 km、そして「地蔵岩」まで 1 km とあります。

4.2 km 先?

「通行規制区間」の警告板が見えてきました。
「この先 4.2 km 区間は異常気象時には通行止となることがあります」とあります。ふむふむ、まだまだ道は続くのですね。

道道元地香深線

元地の集落に入りました。
随分と年季の入った道道標識がありました。
「元地香深線」とあるとおり、西海岸の元地と東海岸の香深を結ぶ道道、ということですね。

バス停……と見せかけて

何の変哲も無い漁村の風景ですが、よーく見るとコカ・コーラの自販機が……
さらによーく見ると……
宗谷バス「元地港」のバス停が。最初は左上の「たばこ」がバス停に見えたのですが、見間違いでした(笑)。

この先、崖

漁村の先は、また崖が海に迫っているように見えます。本当に地形が険しいですね。

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2013年8月27日火曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (88) 「桃には種がある」

桃には種がある

昨日も使用した写真で恐縮ですが、これが「桃岩」の全景です。
なぜ「桃岩」なのかは、この岩が「桃」に見えるという、実にそのまんまの理由らしいのですが、なんとこの「桃岩」には「種」もあるのだとか。ん、もしかして……
多分、これがそうなのでしょう。これは確かに桃の中に見えるアレですね(笑)。なかなか素敵なネーミングです。機会があれば由来も調べてみたいですね。

ようやく海沿いに

桃岩の麓で、再び右にぐるっと回って……
もいっかい右に曲がって、ようやく海沿いに下りてきました。

礼文島の西海岸には道路が通じてないところが多く、目の前に見えているあたりも道路が無い海岸です。その代わり、尾根沿いに道路が延びているみたいなのですが、それも 500 メートルほどで途切れてしまっています。礼文の西海岸は総じて断崖絶壁が多いですね……。

道道 765 号線を元地へ

さて、元地(もとち)に向かって海沿いの細い道をゆきます。もう防波堤が見えていますね。
たまにはこんなブラインドカーブもありますが……
少しずつ、建物が見えるようになってきました。
覆道も見えてきました。
センターラインも復活しました。少しずつではありますが、着実に整備が行われているようです。

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2013年8月26日月曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (87) 「目の前に『桃岩』が」

著者調べ、かなり弱気

「日本最北のトンネル」(著者調べ)じゃないかなーと個人的に思っている(かなり弱気)礼文島の「桃岩トンネル」を抜けると……
ちょいと曇り気味の空が迎えてくれました。トンネル出口の標高は海抜 120 m 程度……ということで、ここから一気に海岸沿いまで坂道を下りて行きます。

左にクイッと曲がっていくと……
うわぁお。ガスがかかってますね。ここは海沿いなのですが、まるで深い山の中に来ているようです。

落石注意!

さて、前方になにやら奇妙な形の岩山が見えてきました。
「落石注意」の標識が見えますが、確かに道路脇のあちこちに防石柵?が見えます。
カーブミラーのところで、くるっと右に 180 度ターンして、更に下りて行きます。左手には海と、これから走ることになる道が見えています。

警報が鳴ったら臨機応変に

このあたりは本当に落石が多いのか、こんな警報装置までありました。
そして、再び左に 180 度ターンなのですが……
また警報装置がありました。
何と、さっきは「危険!通抜け禁止」だったのが、今度は「速やかに通り抜けてください」になっています。場所によって、臨機応変に対応しないといけないのですね。

目の前に「桃岩」が

「この先 1 車線」とありましたが、確かに目に見えて狭くなりました。
そして、目の前には先ほどの奇岩が。どうやら、この岩が「桃岩」のようですね。

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2013年8月25日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (136) 「安別・モケウニ沼・狩別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

安別(やすべつ)

ya-us-pet
網・多くある・川
(典拠あり、類型あり)
安別は浜頓別町の地名で、クッチャロ湖(小沼)の西側に位置します。てっきり「あんべつ」だと思っていたのですが、なんと「やすべつ」が正解だったらしく……。さて、一体どういった意味なのでしょうか?

今回も、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみます。

 浜頓別町字安別は、天北線山軽駅から浅茅野の方へ少し戻って、小沼のふちを西に回り込んだところの部落。昔は湖の一部であったのが次第に乾燥したところと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.189 より引用)
こういった、簡易な地誌的な文はありがたいですね。ちなみに、天北線には「安別仮乗降場」もありました。安別の集落に向かうには、安別仮乗降場を使うのがもっとも近かったと思われます。

安別はヤ・ウㇱ・ペッのつまったものらしい。ヤは網のことで、それをいつも使う川という意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.189 より引用)
ふーむ、「ヤ」と聞くと、「陸地」という意味の ya を思い起こしてしまうのですが、安別の ya は「網」という意味なんですね(確かにそういう意味の単語も辞書に載っています)。ya-us-pet で「網・多くある・川」となりそうです。

モケウニ沼

mo-kew-ni??
小さな・骨・木
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
猿払村浅茅野にある沼の名前です。マイナーな地名なのか、このあたりでは抜群のヒット率を見せていた「アイヌ語地名解」にも、また定番の「北海道の地名」にも記載がありません。案の定、河川や湖沼にはからきし弱い「角川──」にも記載が無かったのですが、なんと「永田地名解」に記載がありました。

Mo keuni  モ ケウニ  枯木アル處 「ケウニ」ハ墓ニアラズ此地ノアイヌハ墓ヲ「チシヨマニ」ト云フナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.434 より引用)
ふむふむ。mo-kew-ni で「小さな・骨・木」といった意味なのですね。kew は「死体」あるいは「骨」といった意味なのですが、kew-ni で「死したる木」即ち「枯れ木」と解釈するのでしょう。

ただ、この調べ物をしていて、少々気になる情報がありました。他ならぬ知里さんの「──小辞典」に、次のような文章があったのですね。

②語原は po (子)から出る。地名においてはとくに二つの場合をさす。(i)二つのものが並んでいるばあいに大きい方を親と考え,それに対して小さい方をさす。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.60 より引用)
はい。ずずずいっと中略しまして……続きます。

同じソーヤ郡のオンネ・ケゥニ[Onne-Kewni(親・ケゥニ)]に対するモ・ケゥニ[Mo-Kewni(子・ケゥニ)]など。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.60 より引用)
猿払村も宗谷郡ですから、この「モ・ケゥニ」は「モケウニ沼」のことだと思われるのですが、ところが「オンネ・ケゥニ」に相当する沼が近くに見当たらないのです。モケウニ沼より小さい沼は沢山あるのですが、モケウニ沼の兄貴分に相当する沼が見当たらないのですね(「ポロ沼」があるのですが、ちょっと遠いような気も)。これは今後の研究課題になりそうです。

狩別(かりべつ)

kari-pet
回流する・川
(典拠あり、類型あり)
エタンパック山のあたりに源を発し、猿払村の中央部を西から東に流れる川の名前、および流域中部の集落の名前です。

狩別の「狩」は「石狩」の「狩」ということで、察しのいい方は想像がつくかもしれませんが……。今回は久しぶりに山田秀三さんの「北海道の地名」から。

 猿払川下流に西から注いでいる支流の名。松浦図では,ポロ沼に注いでいた当時の姿で描かれカレと書いてある。永田地名解は「カリ。曲り(川)。此地のアイヌはカリの語義を知らず」と書いた。湿原の中を曲がり曲がって流れていた川なので kari-pet (曲がる・川)と呼ばれていたのが狩別となったのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.168 より引用)
やはり……。kari-pet で「回流する・川」のようです。まぁ、日本の川はとても良く改修されているので、回流する川も最近では滅多に見られなくなりましたが、海を越えてサハリンのあたりに行けば、成り行き任せに回流する川の姿を見ることができます。きっとこの狩別川も、昔はあんな風だったのだろうなぁ……と思いを馳せるのも面白いかもしれません。

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2013年8月24日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (135) 「クッチャロ湖・ポン仁達内・オビンナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

クッチャロ湖

to-kutchar
湖・喉元
(典拠あり、類型あり)
浜頓別町の中心地にほど近いところにある湖(沼)の名前です。「屈斜路湖」と似ていますが、浜頓別にあるのは「クッチャロ湖」なので要注意です。

もっとも、その由来は同じらしく……おっと。まずは更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 浜頓別市街の西の湖。クッチャロはクチャラの訛りで、湖の出口のこと、元来は咽喉部のことで、現在の大沼からクチャロ川の流れ出る口をトークチャラ(湖の咽喉)と呼んでいたのが湖の名になったもので、昔は小沼をペンケトウ(上の沼)、大沼をパンケトウ(下の沼)と呼んでいた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.189 より引用)
はい。これ以上ツッコミの入れようのない、見事な解説です。もともと「クッチャロ湖」は to という名前でしかなく、クッチャロ湖から頓別川あるいはオホーツク海に流出する「川」の名前が to-kutchar (「湖・喉元」)でした。この to-kutchar が湖の名前として使われるようになり、「クッチャロ湖」となった……ということのようです。

ま、言ってしまえば「クッチャロ湖」という名前は「本末転倒」なのですが、野暮なことを言うのはやめておきましょう。:)

ポン仁達内(ぽんにたちない)

pon-nitat-nay
小さな・湿地・川
(典拠あり、類型あり)
浜頓別町、クッチャロ湖(大沼)の南西に位置する地名です。実は「仁達内」という地名も近くにあるのですが、「ポン」をそのままカタカナのまま残した先人に敬意を表して、「ポン仁達内」を取りあげてみました。

想像するに、おそらく pon-nitat-nay あたりだと思うのですが……とりあえず「アイヌ語地名解」を見ておきましょうか。

 仁達内(にたちない)
 浜頓別町の小沼の奥。昔は相当奥まで小沼が入り込んでいたと思われる。その沼地のあとが湿地になり、その間を仁達内川が曲流している。仁達内部落はその川の支流オサチナイ(川尻の乾く川)の合流点から上流にひらけている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.189 より引用)
あえて引用してみたのですが、これは現在の仁達内川の姿とは似ても似つかないようです。というのも、小沼とオサチナイ川の間は曲流していませんし、更には名前も「クッチャロ川」になってしまっています。

ちなみに、仁達内川の名前は、オサチナイ川との合流点より上流に残っています。続きを見てみましょう。

仁達内はニタッナイに当て字をしたもので、ニタッは湿地、即ちヤチのことであり、ヤチ川の意味である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.189 より引用)
「仁達内」は nitat-nay で「湿地・川」のようですね。「ポン仁達内」は仁達内の支流で、pon-nitat-nay 即ち「小・湿地・川」ということになります。

オビンナイ川

o-pin-nay??
川尻・渦・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
クッチャロ湖(小沼)の南西のあたりを流れ、小沼に注ぎ込む小河川の名前です。

えー、そうですねぇ。o-pin-nay とは考えられないでしょうか。ただ、pin-nay だと「溝・川」といった感じで、「細く深い谷川」となるのですが、o- がつくと「川尻(が・に)」となるので、「川尻・溝・川」というのは意味が変ですね……。

ただ、pin(もともとは pir)には「溝」以外にも「渦」といった意味もあるので、「川尻・渦・川」だとすれば、それほどおかしな解釈では無いのかもしれません。知里さんの「──小辞典」によれば、pir-o-p で「灘」といった解釈もできるようなので、「渦」と言うよりは、「淀み」のほうがより近いのかも……。

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2013年8月23日金曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (86) 「日本最北のトンネル!?」

「あるもの」を見に行く

礼文島の「桃岩登山口」バス停に車を停めて、「あるもの」の写真を撮りに行きます。
トンネルが見えてきました。そして、その手前には「桃岩展望台」と書かれた案内板が。
どうやら、この先の遊歩道を歩いて行けば、「桃岩展望台」に行けるようです。

高山植物を守ろう!

遊歩道は、ご覧のように、歩きやすいように整備されています。
しかしながら、こんな案内も。
「犬などペットを同伴してのトレッキングはご遠慮ください」とあります。これは、ペット類による踏み荒らしを警戒しているのか、あるいは病原体の持ち込みを警戒しているのか……。

桃岩トンネル

さて、それはそうとして、何の写真を撮りに行ったのかと言えば……
こちらです。そう、一見、何の変哲も無いトンネルですね。

このトンネル、実は……

それでは車に戻って……
「桃岩トンネル」を通過します。
サイズは一昔前のものですが、壁面も綺麗ですし、それほど「怖さ」は感じさせません。
さぁ、もうすぐ出口です。

……実は、この「桃岩トンネル」、おそらく「日本最北のトンネル」なのだと思うのですね(著者調べ)。稚内市内にトンネルがあれば別なのですが、地図でちらっと見た限りでは、それっぽいトンネルは存在しないようでしたので。

というわけで、実にどーでもいい満足感を得ながら、礼文島の西海岸に向かいます。

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