2013年8月17日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (133) 「知駒内川・一己内川・兵安」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

知駒内川(しりこまないがわ)

surku-oma-nay
トリカブトの根・ある・川
(典拠あり、類型あり)
中頓別町と幌別町の間にある「知駒岳」に源を発し、頓別川に合流する支流の名前です。今回も更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」からどうぞ。

 頓別川の左支流知駒内川の当字。シㇽク・オマ・ナイは矢毒にするとりかぶとの多い川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.187 より引用)
ふむふむ。surku-oma-nay で「トリカブトの根・ある・川」ですね。そこそこ長い川で、意味のある名前なので、永田地名解にも掲載されているだろう……と思ったのですが、見つかりませんでした。うぅむ。

一己内川(いっちゃんないがわ)

ichan-un-nay
サケマスの産卵穴・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
中頓別町北部を流れる、頓別川の支流です。もともとは「一己内」という集落もあったらしいのですが、やはり難読だったからか、「弥生」という名前に変えられてしまったようです。

では、今回も更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

一已内(いっちゃんない)
 現在は別な字名で呼ばれているらしいが、浜頓別の境に五万分の地図に記入されている地名である。もとは東の山地から町境に沿って、この部落を貫流している川に名付けられたもので、イチャンナイというのが原名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
更科さんの本では「一内」ではなく「一内」となっていますね。「一已」と言えば、深川の有名な難読地名なのですが、他にも例があったとは知りませんでした。字が変わってしまったのは、おそらく誤記による誤用ではないでしょうか。

イチャンは兵安や深川の方の一已(いっちゃん)と同じ鮭鱒の産卵場のホリのことで、ウンはそれのある、ナイは川の意味。昔はこの小川にも鮭がのぼって産卵したので、秋になると皆が漁に集まったものらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
さりげなくネタバレがあるのはさておき(汗)、とても丁寧な解説ですね。どこにもその存在を見受けられない「ウン」まで説明があるところが流石です。ichan-nay で「サケマスの産卵穴・川」となりますが、もともとは ichan-un-nay で「サケマスの産卵穴・そこにある・川」という意味だったのでしょうね。

兵安(へいあん)

penke-ichan(-un)-nay
上流の・サケマスの産卵穴(・そこにある)・川
(典拠あり、類型あり)
中頓別町中央部、松音知岳の東麓にある地名です。ぱっと見た限りではアイヌ語起源では無いようにも思えてしまいますが……。今回も「アイヌ語地名解」から。

 中頓別の市街から八キロほど東に入った山奥の集落。砂金の夢を追って早くから日本人の足で踏み分けられたところで、昭和十三年までは兵知安(べいちゃん)、中兵知安、茂兵知安とそれぞれに分かれていたが、字名改正で中兵知安が兵安となった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
はい。もともとは「兵知安」という地名だったようです。これだと音の響きからもアイヌ語っぽい感じがしますよね。

兵安はこの集落を潤している、兵知安川の名をとったもので、この川が頓別川に合流する少し下流に、ペンケ・イチャン(上流にあるホリ場)があるので、それがなまってベイチャンになったもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.186 より引用)
兵知安川は一己内川より上流で頓別川と合流しているので、penke-ichan と呼ばれたのも納得です。penke-ichan-nay で「上流の・サケマスの産卵穴・川」が「ベイチャン」となり、さらに「知」が略されて「兵安」になってしまった、ということのようです。

読みづらい地名が改変されてしまうのも仕方が無いことかなぁ、と思ったりもするのですが、川の名前は未だに「兵知安川」のままですし、「兵安」というのも、元々の名前のエッセンスが残っているので、これで良しとすべきなのかもしれませんね。

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