やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。ちなみに本日 7 月 28 日は「地名の日」で、
山田秀三さんの命日です(1992 年没)。
智恵文(ちえぶん)
chep-un-to
魚・そこにいる・沼
(典拠あり、類型あり)
名寄市北部の地名です。美深町にも程近いところですね。いや、むしろ美深の方が近そうにも見えますが……。今回は
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。
昭和二十九年名寄市に合併したが、もとは美深町といっしょに下名寄村をつくっていた。大正六年分村して智恵文村といったもの。
ああ、やはり。もともとは美深町と一体だったのですね。
智恵文市街の上流、国道が天塩川を渡った所に出ているチエプン川に漢字を当てて部落名にしたもので、古い地図には、チエプウントー川とあるから、チエㇷ゚(魚)ウン(いる、または入るの意)トーは沼であるから、現在はないがこの川にはもと魚のたくさん入る沼のあったことがわかる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.168 より引用)
ふむふむ。今回は「雑魚」ではなく「魚」なんですね(笑)。それはさておき……。もともと
chep-un-to という沼があった、ということですか。意味は「
魚・そこにいる・沼」となりますね。
ちなみに、永田地名解では「Chep ush to」とありました。これを見ると、確かに
un と
us の使い分けは曖昧だったようですね。
紋穂内(もんぽない)
mo-nup-o-nay
小さい・野・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
美深町北部にある地名で、同名の駅もあります。なかなか素敵な地名ですが、果たしてその意味は……。山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
天塩川東岸の川名,地名。同名の国鉄駅あり。
「国鉄」ですね。懐かしい響きです。
紋穂内川は国鉄紋穂内駅から 1 キロ北の小川で,明治 31 年 5 万分図ではモヌッポナイと書かれている。語意はモ・ヌㇷ゚・オ・ナイ(mo-nup-o-nai 小さい・野・にある・川)であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.145 より引用)
ふむふむ。
mo-nup-o-nay で「モンポナイ」ですか。意味は「
小さい・野・そこにある・川」ですね。納得です!
大手(おおて)
o-terke-ot-pe
川尻を・飛びはねる・いつもする・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
道の駅「びふかアイランド」から少し北に行ったあたりの地名です。どう見てもアイヌ語の地名には見えないですが……。それでは「北海道の地名」からどうぞ。
恩根内市街から天塩川を 2 キロ遡った処の川名,地名。オ・テレケ・オッ・ペ「o-terke-ot-pe 川尻を・飛びはねる・いつもする・もの(川)」で,二つ続く母音の一つを省いてオテレコッペと呼ばれた。川尻を飛び越えて渡った処であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.144 より引用)
ひゃあ、まさかこんなオチがあろうとは。
o-terke-ot-pe だと確かに「オテㇽコッペ」と発音出来そうですね。……やがてそれが「大手」になった、と。面白いです。
この地名については、
知里さんも「──小辞典」の中で面白いことを記していました。
oterkotpe オてㇽコッペ 【ビホロ】岸が両方からすうっと寄って来て川幅が急に狭くなり岸に岩などがあって対岸に飛び越すのに都合のいいような地形。
天塩川に注ぐ「オテレコッペ川」という川があるのですが、地図で見た限りではちょっと深そうな川にも見えます。途中に「オテㇽコッペ」に相当するところがあるのかないのか、ちょっと気になりますね。
ちなみに、まだ続きがあります。
[<o(そこに於て,そこから)terke(飛ぶ)ot(……するのが常である)-pe(所),「そこから対岸へ飛び越す習わしになっている所」の義。そういう所ではよく祖神サマイクルの足跡だという凹みがあって,昔人間の始祖である巨人サマイクルがここから対岸へ飛び越えた所だなどという伝説がからんでいる。]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.84 より引用)
このあたりは、
yukar にも造詣が深かった(で、いいのかな)知里さんらしい内容ですね。こういった「伝説」をもっと取りあげてみるのも面白いんじゃないかなぁ、などと思います。
‹ ›
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International