登別本町へ
登別東 IC での鬼のお出迎えに「なんじゃこりゃああ」と驚いてしまいましたが、気を取り直して。鬼の前で右折して、市街地へと向かいます。
国道 36 号線を右折して、登別本町へ……。
閑静な住宅街™
なんだか閑静な住宅街™ にやってきましたが、いったいここに何があるのかと言うと……
小学校があります。まぁ、閑静な住宅街™ に小学校はつきものですが……。
「知里真志保之碑」
ただ、先ほどの写真をよーく見ると……、右の方になにやら見えるのがおわかりでしょうか。実は……こんな石碑がありました。なにやら随分と立派な石碑なのですが、碑文を見ると……
「銀のしずく 降れ降れ まわりに」「知里真志保之碑」とあります。石碑の土台の左側には「知里真志保略歴」が、そして右側には「友人 山田秀三」と記されています。
知里真志保さんはアイヌの言語学者で、アイヌ語の研究(地名に限らず)で多大なる実績を残した方です。なかでも、ご本人が「わりと感じのいい,たのしい本である!」と自賛していた「アイヌ語入門」は不朽の名作と呼ぶに相応しいものでした。氏が同書内で唱えた「川は生き物である」という考え方は、今でも広く世に知られていますね。
山田秀三さんは、本業は実業家なのですが、在野の「アイヌ語地名研究家」として広く知られた方でした。知里真志保さんよりも十歳ほど年上だったのですが、理論派の知里さんと、現地調査派の山田さんは、お互いを尊重し合える、良き「友人」だったみたいです。それ故に、「友人 山田秀三」という一見奇妙な肩書きにも、深く頷けるものがあります。
知里幸恵さんと金成マツさん
そして、「知里真志保之碑」の隣には……「金成マツの碑」「知里幸恵の墓」への案内板が。
知里(真志保)さんの実姉が、「アイヌ神謡集」の著者として知られる知里幸恵さんです。知里幸恵さんは、アイヌの叙事詩「ユーカラ」(「ユカㇽ」とも)の対訳本「アイヌ神謡集」を著した後、若くしてこの世を去ったのですが、知里幸恵さんのユーカラの師となったのが、伯母であり養母であった「金成マツ」さんでした。
どうかご容赦いただきたく
はい、いきなりいろんな人の名前が出てきて「???」となった方もいらっしゃるかも知れませんが、今日のところはご容赦ください。あ、「ご容赦ください」と言えば……「知里真志保之碑」の前には駐車場がありません。というわけで、いったん路上に車を停めて撮影をしていたのですが、見事に後続車の邪魔になってしまいました。どうかご容赦いただきたく……。
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