2013年3月19日火曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #62 「実験いろいろ」

まずはお詫びから

さて、時代は前後しますが……。先に言い訳をしておくと、順路に沿って内容を紹介しているので、新しい話から古い話に戻ったりするのも、そのように展示がされているから、ということでご容赦くださいませ。

剥き出しの原子炉

次は、BREN Tower Experiments というパネルが出てきました。この BRENBare Reactor Experiment-Nevada の略だそうで、和訳すると「剥き出し原子炉実験・ネバダ」といったところでしょうか。
その時の写真(1962 年)がこちらです。
塔の下に建てられたのは、日本家屋を模した建物です。塔の上には剥き出しの放射線源が置かれた……ということなのでしょうね。これは、日本家屋のどのような部位が放射線を防ぎ、あるいは放射線を透過させたのかを追試するためのものだったようです。

パネルには、次のような文章が書かれています。

Army doctor Hiroshi Sawachika treated over 2,000 patients after surviving the Hiroshima bomb blast. "Later on, when I had time to reflect on that day, I came to realize that we doctors learned a lot through the experience...I learned that the nuclear weapons which gnaw the minds and bodies of human beings should never be used... Otherwise, we will repeat the same tragedy."
(「核実験博物館」展示より引用)
とても残念なことに、「原爆投下後の広島で二千人以上の患者を診た軍医の Hiroshi Sawachika 氏」についての知識を持ち合わせていないので、あまり深くは語れないのですが、この「核実験博物館」で日本人の名前を見かけたことは殆ど無かったので、記録の意味も込めて、引用しておきます。

NERVA Rocket Engine Tests

次は、ちょっと毛色の違った研究についてです。まずはこちら。
NERVA Rocket Engine Tests とあります。NERVAthe Nuclear Engine for Rocket Vehicle Applications の略とのことで、1964 年から 1969 年にかけて研究が進められたとのこと。これは時期的に興味深いですね。ご存じの通り、この時期はアメリカが国の威信をかけて「アポロ計画」を推進していた時期と重なります。

アポロ計画に湯水のようにお金をつぎ込んだ結果、その後のアメリカの宇宙開発は停滞期を迎えるのですが、化石燃料を浪費するロケットの代わりに原子力を使えないか……ということを考えていたのでしょうね。結局、この手の研究は日の目を見ることが無く、できる限り再利用する型のロケットとも言えるスペースシャトルを宇宙に送り込んだわけですね。

Phoebus Reactor Engine

より高出力型の「原子力エンジン」も展示されていました。
これは Phoebus Reactor Engine と言うのだそうです。1968 年に実験されたものだそうですが、当時の最大のロケットエンジン(つまり、アポロを打ち上げたサターン V のことでしょう)の倍の出力が出せると見込まれていたのだとか。

Project Pluto Nuclear Cruise Missile

もっとも、「原子力エンジン」が最初から宇宙を目指していたわけでも無さそうで、やはり原型は
原子力を動力に巡航するミサイルだったみたいです。Project Pluto Nuclear Cruise Missile プロジェクトは 1957 年の 1 月に開始され、実験結果は悪いものでは無かったようですが、コスト面で折り合いが付かなくなったとのことで 1964 年 7 月に打ち切られた、とあります。

ヤラセ……では無いですよ

ネバダの核実験場は、その広さを活かして、こんなことにも使われたみたいです。
後ろの車は、後に月面を自在に走り回ることになる、あの車ですね。月面を思わせるような荒涼とした風景を活かして、あたかも月面の映像のように見せかけるヤラセが行われた……わけではありません(笑)(本気でそう疑っている人もいるようですが)。これはあくまでトレーニングの一環とのこと。

……。

一方で、こんな切ない話も。
「フォールアウト」、即ち放射性降下物に汚染された牧草を家畜にあたえて、どの程度放射能が生体濃縮されるかの実験も行われたそうです。

その他の副業

ちなみに、1988 年には長年の宿敵・ソ連の視察団を受け入れるほど、ネバダの核実験場の機密性は下がっていたのですが、1990 年代に入ってからは「爆弾探知技術」の実験場として使われることが多くなったそうです。いわゆる「地雷探知機」ですね。

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