核爆弾とポップカルチャー
さて、今度は何やら日用品のようなものが沢山出てきました。これは何だろう……と思って説明文を見てみると、
The Atom Bomb and Popular Culture とあります。原子爆弾による被害を受けた唯一の国に住んでいる我々からすると、「核兵器とは廃絶されるべきもの」という認識でしかないのですが、1950 年代のアメリカにとっては、核兵器は「世界に冠たるアメリカ」の象徴ともなっていた……と言えるのでしょうね。核兵器をモチーフにした様々なものが製造された……ようですね。
博士の異常な愛情
しかしながら、核兵器の独占は予想以上にあっけなく終わってしまいます。これはソ連の諜報活動の勝利とも言えますし、あるいは一国による核兵器の独占を良しとしない面々が自らソ連に通じたからかも知れませんが、結果として、アメリカと世界の覇権を争っていたソ連も程なく核兵器を手に入れてしまいます。そして、核弾頭を装着した大陸間弾道ミサイルなどが実用化されると共に、「核戦争の恐怖」はアメリカ国民にとっても身近なものとなってしまいました。Survival Under Atomic Attack と題されたこのパネルには、キューブリックの映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」からの一節が引用されています。
レンタル品
足元には、核弾頭(だと思う)が平然と置かれています。まぁ、モックアップだとおもいますが……。とても小さな説明パネルが貼られているのですが、
なんと、この弾頭はロスアラモス研究所から「レンタルしている」のだそうです。
НЕ БАЛУЙ
「ソビエトとの冷戦の始まり」を説明したパネルもあります。右の方には、「赤の脅威」と書かれたパネルも。
「НЕ БАЛУЙ」というのは、「バカなマネはするな」といった意味でしょうか。右下に Soviet propaganda poster とあるので、これはソ連が米国に向けて発したメッセージなのでしょうね。
耳なし芳一?
続いての展示はこちら。もう、字が小さすぎて何が何やら……なのですが、それもその筈で、拡大すると、
The Naming of Tests と書いてあります。周りに書かれた小さな小さな文字は、何度となく行われた核実験のコードネーム、だったようです。
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