2012年12月31日月曜日

道東の旅 2011/春 (195) 「乗船完了!」

今年も残すところ(ry

乗船開始!

苫小牧東フェリーターミナルを一通り見物したあと、車に戻って Blog の記事などを書きながらずーっと待っていたのですが、2 時間ほど経って、ようやく乗船が始まりました。
とは言っても、まだトレーラーの搬出が完全に終わっているわけでは無いので、頃合いを見計りながらの乗船となります。
2 分後、後部の乗船口から中(2 階)に入ります。
前のほうで待っていると、結構な確率で階下(第一甲板)に導かれます。
1 階だと、早く乗船できる代わりに、下船がほんのちょっとだけ遅くなるのが玉にキズですね。
この写真だと左奥の場所に、バックで入庫完了です。

積み込みは粛々と続く

22:23 に、第一甲板に積み込み完了です。
前の車も後ろ向きに近づいてきました。
まだまだ、どんどん第一甲板に車が入ってきます。
出港まで 1 時間ほどあります。とりあえず船内でのんびりしましょう……。

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2012年12月30日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (102) 「庶路・刺牛・白糠」

今年も残すところあと(ry

庶路(しょろ)

so-oro?
滝・の所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
白糠町東部の地名です。確かにアイヌ語っぽい地名ではありますが、意味がわからないですね。ということで、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

 白糠町東部の地名,川名。昔はショロロ,ソロロと呼ばれた処であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
どこかの軍曹とか、シェロ洋介とかを思い出しますが……(違)。続きます。

 上原熊次郎地名考は「夷語シヨロロとは順風と訳す。此川格別屈曲もなく川風凉風なる故地名になすといふ」と書いたが,シヨロロという言葉を聞いたことがないので困った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
いや、私も「シヨロロ」なんて単語は知らないなぁ……と思ったのですが、山田秀三さんもご存じないのであれば、私ごときが知らなくても当然でしょう。

 永田地名解は「ショロロ←sho-ri-oro(瀑布高き処)。大雨の時瀑川飛ぶ」と書いたが,その ri の入れ方が何か不自然な感じである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
んー。ri の入り方が不自然だとのことですが、ri-so-oro となるのが普通なんでしょうか。続きます。

北海道駅名の起源は前のころは永田説で書かれたが,昭和 22 年版から「ショ・オロ(滝の・処)」と訳して来た。源流の方に滝があるそうで,語形もこれなら自然であるが,ロが一つ略されている点が気にかかる。言葉くせで意味のないロがついたとでも解すべきか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
なるほど。so-oro で「滝・の所」と解釈するのが自然なようですね。それにしても、上原熊次郎説は聞き書きなのでしょうが、一体どこからこのような解釈が出てきたのかが気になります。

刺牛(さしうし)

sas-us-i
昆布・多くある・所
(典拠あり、類型あり)
庶路と白糠の間の地名です。馬刺しもいいけど牛刺しもいいですね……。こちらも「北海道の地名」から。

サㇱウシ(sash-ush-i 昆布・群生する・処)の意であろう。同行の運転手は,海流の関係かこのごろは余り育たなくなったが,昆布がよく流れて来ます。それを拾って暮らしていた人もいました,と語った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
ふむふむ。sas-us-i で「昆布・多くある・所」という意味ですね。これだと「さすぅし」となるのですが、どうやら元々は「刺牛」で「さすうし」と読ませていたようですね。念のため「角川──」(略──)も見ておきましょうか。

古くはシヤクシウシ・サキシユシ・サクシヽ・サスウシなどといった。釧路地方西部,シラリカップ川とオンネチヨップ川との間の太平洋沿岸。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.592 より引用)
んぁ? 確かに「サスウシ」であれば sas-us-i で良さそうですが、「シヤクシウシ」と sas-us-i はちょいと違いが大きすぎますね。札幌には「シャクㇱコトニ川」がありますが、それと同じように sa-kus-i-usi で「浜・通行する・もの・多くある」という解釈もできそうな気がします(-i-us-i はちょっと変かも知れませんが)。このあたりは地形図でもわかる通り、山と海の間に砂浜が広がっているので、東西を行き交うには砂浜を往来するしか無かったと考えられます。

これが sa-kus-usi となり、やがて ku が落ちて原義が忘れ去られ……というのはちょっと強引すぎますかね。「北海道の地名」に戻りましょうか。

昆布は道の西部では日本語と共通なコンブ(どっちがもとか分からない)であるが,道の北部,東部ではサㇱと呼ぶのだった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
これはその通りなのですが、その割には「昆布森」や「昆布盛」があったりするのでびみょうです。ということもあるので、sas-us-i は *もしかしたら* 後から出来た話かも……と思ったりもします。

白糠(しらぬか)

sirar-ka?
岩・上(岸)
sirar-ukaw?
岩・重なり合う
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
これまたちょいと論争になりそうな地名が出てきました。ただ、白糠の地名解にまつわる話は割と有名なので、なるべく短めに……。まずは「北海道の地名」から。

 上原熊次郎地名考は「シラヌカ。夷語シラリカなり。シラリ・イカの略語にて則シラリとは潮の事,イカとは越すと申事にて,満汐川へ入る故此名あり。シラリカといふ川は会所より左の方一丁程隔てあるなり」と書いた。松浦氏東蝦夷日誌はこの解を引きついでいる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
sirar-ika で「岩・越える」という意味になりますね。新十津川のあたりに「尾白利加川」という川があったのをご記憶でしょうか。オシラリカは o-sirar-ika だったと考えられるので、非常に近い地名ということになりますね。

続きを見てみましょう。

 永田地名解の本文はシラリカㇷ゚(潮・溢る・処)で同じ解だが,語尾に -p(処)がついているのは土地の音を聞いたからだろう。昔からあった音らしい。同書巻頭の国郡の処では「当地のアイヌはシラルカウなりと云ふ。シラルカウ shirar'ukau。直訳すれば岩石縫合の義。岬端の大岩に名く」と書いた。岩石重畳の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.281 より引用)
ふむふむ。sirar-ukaw で「岩・重なり合う」ですか。確かに「シラリカㇷ゚」より「シラルカウ」のほうが「シラヌカ」に近いですね。

 シララは,古くから,ついこの間まで「潮」とも訳されてきたのだが,知里博士は,この語にそんな意味はない,ただ「岩」のことである。シラリカ shirar-ka は「(潮が・)岩礁に・溢れる」という意味で,それから潮と誤った解がされるようになったのだと解明された(同氏小辞典参照)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.282 より引用)
そうですね。sirar ではなく、むしろ sirar-ka に「潮」という意味を見いだすのが適切なようです。

 この辺一帯はずっと砂浜続きである。その中に岩礁があったのでこの名がついたのであろう。語義は正確にはシラリカㇷ゚「shirar-ika-p (潮が)岩を・越える・処」のような形で,その語尾の -p が略されて呼びならわされたのだろうか。シララオイカは,それに o-(そこで)という補助語をつけた形で同じ意味。シラルカウは語尾の -p と u が変わった程度の同じ音。それで読めばウカウ(u-ka-u 互いに・上に・ある。重なりあう)となるので,岬の先端部の大岩だとも考えられたものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.282 より引用)
うぉー、これは見事としか言いようが無いですね。似て非なる「白糠」の語源をひとつにまとめ上げる統一理論が出てきました!

アイヌ時代でも,人により時代により,この程度の考え方の差はよくあったのだった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.282 より引用)
全くごもっともです。とりあえず sirar-ka で「岩・上(岸)」と解するのを基本形として、他にも幾通りか解釈できるよ、としておきましょう。

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2012年12月29日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (101) 「幣舞・大楽毛・恋問」

今年も残すところあと二日と少しとなりましたが、当 Blog は年末進行も何のその、相変わらずいつも通りの内容をお送りします。

幣舞(ぬさまい)

nusa-oma-i
祭壇・そこにある・所
(典拠あり、類型あり)
釧路川にかかる「幣舞橋」が有名ですね。今回は久しぶりに?「角川──」(略──)から。

釧路地方中部,旧釧路川下流左岸の段丘縁部。地名は,アイヌ語のヌサオマイの略語といわれ,原義は「ヌサ(木幣)の抱かれてある所」の意。地名にまつわる伝説として,「上流から流れてきた幣が,川縁の崖にひっかかっていた。見ると先祖の家紋が印されている。アイヌ達は喜んで斎場を祀り,以後神聖な場所としてあがめた」という話がある(幣舞の語源について/佐藤直太郎郷土研究論文集)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1115 より引用)
ふむふむ。「木弊」を意味する inaw という単語がありますが、ここはそのまま nusa として出てきますね。nusa でも「木弊」を意味する場合もあるようですが、「祭壇」と解する場合もあるようです。よって nusa-oma-i で「祭壇・そこにある・所」と解釈できそうですね。

大楽毛(おたのしけ)

ota-noske
砂浜・真ん中
(典拠あり、類型あり)
釧路市西部の地名。何とも楽しい地名です。由来は ota-noske なのですが、とりあえず山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょう。

 釧路市西端の地名,川名。釧路から西の白糠地域にかけては砂浜の続きで,ここはその中ほどのところなのでオタ・ノㇱケ(ota-noshke 砂浜の・中央)と呼ばれた。同名が道内各所にあったのであるが,多くは浜中とか中浜とかの名に変わっている。だがここだけは巧い当て字をして原名を残した。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.277 より引用)
いやはや、まったくです。元となったアイヌ語地名は「浜中町」と全く同じく ota-noske で「砂浜・真ん中」だったのですが、このあたりの地名を「考えた」人は原音保存主義?を徹底していたのか、何とも楽しい「当て字」を現代まで残してくれたのでした。

恋問(こいとい)

koy-tuye
波・潰す
(典拠あり、類型あり)
白糠町東端、釧路市との境のあたりの地名です。今回は「角川──」(略──)から。

釧路地方西部,太平洋沿岸のコイトイ川流域。川沿いに湿地が広がる。地名は,アイヌ語のコイトイエ(浪潰,東風の強いとき波が打越す所の意)に由来する(白糠町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.527 より引用)
はい。koy-tuye で「波・潰す」といった意味ですね。波が砂浜を侵食する、といったニュアンスでしょうか。実は koy-tuye も道内各所にあり、稚内近郊の「声問」や苫小牧近郊の「小糸魚」(小糸井)も由来は同じなのだとか。

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2012年12月28日金曜日

道東の旅 2011/春 (194) 「苫小牧東フェリーターミナルへ」

ごちそうさまでした!

夜も更けてきました。いとやさんとは「仁世宇園」で現地解散して(ごちそうさまでした!)、ここからは「苫小牧東フェリーターミナル」を目指します。
この写真を見て「ははーん、あのあたりだな!」と思った方は割と通な方ですね。あ、いや、別にそれはどうでもいいんですが……。

苫小牧東 FT へ!

小雨の降る中、およそ一時間ほどで……
「苫小牧東フェリーターミナル」に到着です。
この日の走行距離は 266.1 km でした。いつもは 350~400 km 程度走るので、丸一日あった割にはかなり短いですね。
家を出てからの総走行距離は 1716 km です。これだと 2000 km を下回りそうな感じですね。

ちょっとおさらい

「新日本海フェリー」は、関西と北海道の間でほぼ毎日就航しているのですが、関西側のターミナルが「舞鶴」と「敦賀」で、北海道側のターミナルが「小樽」と「苫小牧東」です。今までにも、敦賀から苫小牧東までフェリーに乗ってきて、そのまま千歳や札幌に向かった……ということはあったのですが(そもそも今回もそうでした)、苫小牧東から敦賀に向かうのはこの時が初めてでした。

フェリーターミナル探訪

というわけで……
既に乗船手続きは敦賀で済ませている(確かその筈……)ので、改めて手続きは必要ないのですが、ターミナルを見学がてら、お土産でも買って帰ろうかと。
発券カウンターは、敦賀よりはちょっとコンパクトでしょうか。2 階は……
待合室です。売店もあります。ちょちょいと買い物を済ませて……
1 階に戻ってきました。ここは「苫小牧東フェリーターミナル」という名前ですが、実は苫小牧市ではなく隣の「厚真町」にあります。こうやって見ると普通の観光案内ですが、
引いたアングルで見るとあら不思議、ちょっぴり寂しそうな感じがしてきました。

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2012年12月27日木曜日

道東の旅 2011/春 (193) 「絶品ヤマメの『仁世宇園』へ」

平取町某所へ

さてさて。二風谷から国道 237 号線を遡ること少々で……
はい。平取町某所にやってまいりました。

熱烈歓迎?

とりあえず、ビニールハウスの前に車を停めて……。おっと誰か来たようだ。
わざわざのお出迎え、誠におそれ入ります。そう、この日は、あの「いとやさん」にお目にかかることになっていたのでした。

農場訪問!

はじめましてのご挨拶もほどほどに、ビニールハウスの中を案内していただきました。
いろいろと素人質問全開で、その節は大変失礼しました……(汗)。

そして「仁世宇園」へ

さて。Bojan のハウス探訪もほどほどに、とある場所に連れて行っていただけることになりました。
国道をちょいと走って……
仁世宇川の横を遡り……
やがてダート路となりながら……

仁世宇園」に到着したのでした。こうやって見ると、随分遠くまで行ったように見えますが、実際にはものの十数分です。

「仁世宇園」には、ヤマメが泳ぐ釣り堀があって、釣ったヤマメをその場で料理してもらえたりします。実は、生まれてこの方「釣り」というものをしたことが無かったのですが、意外と簡単に釣れるものなのですね(釣り堀だからだよ)。
そんなこんなで、「仁世宇園」にて絶品のヤマメ料理をご馳走になりながら、仁世宇園のご主人ともご一緒に話に花を咲かせたのでした(気がつけば 3 時間近くも)。いやー、いとやさん、仁世宇園の皆さん、途中でいらっしゃった他のお客さん、楽しい時間を本当にありがとうございました!

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2012年12月26日水曜日

道東の旅 2011/春 (192) 「とりあえず二風谷」

とりあえず二風谷

平取本町を離れて、向かった先は……
はい。ご存じ「二風谷」です。この交差点を右(山手)に行けば萱野さんの博物館があるのですが……
今回は左へ。たくさんのチセ(復元家屋)が並んでいます。

「二風谷工芸館」へ

というわけで、「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」の前に車を停めました。
ただ、向かったのは「──博物館」ではなく、向かいの……
「二風谷工芸館」です(平取町アイヌ文化情報センター内)。

天網恢々……

「──工芸館」の中で展示品や商品を眺めていたところ……
この日、たまたま店番を務められていた、工芸作家の S さん(だったと思います)に声を掛けられました。「以前にも来られましたか?」と……。うはぁ、確かに前年の 8 月にもちょこっとだけお邪魔したことがあったのですが、まさか覚えられていたとは……(これ、当日の記事にも書きましたが(汗))。

ほんの少しの間居ただけなのに、なんとなく憶えていただけていたのはとても光栄な反面、よっぽど風体が怪しかったのだろうか、と思ったりも……。ま、こればかりはしょうがないですね(開き直った)。

国道 237 号線を北東へ

さて、アポの時間が近づいてきました(30 分前)。計算では約 25 分の道のりなので、そろそろ出発しないといけません。というわけで……
国道 237 号線を「北東へ」進みます。いや、戻ります、ですね。
どこかで見かけた名前の看板がありました。
もひとつ、どこかで見かけた名前の看板が……。

振内の、更に先へ

振内の「ほろしり館」「じゃんけんぽん」の前を通り過ぎ、狭さには定評のある(←)「振内橋」の近くまでやってきました。
左側の土手が、旧・富内線の路盤跡ですね。

「振内橋」を渡ると、今度は右側に路盤跡が見えてきました。
向かうは……おっと続きはまた明日!

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2012年12月25日火曜日

道東の旅 2011/春 (191) 「静かな散策、終了」

小川を渡る小径

学校林の遊歩道を散歩していると、また、別の小川が見えてきました。
遊歩道はこの小川も越えているのですが、先ほどのような立派な橋ではなく、土手に土管を通しただけの単純な構造のものです。
この「橋」の上から上流を眺めてみると……
「橋」の手前はしっかりとした護岸工事がなされていますが、そこから先はあまり手の入った痕跡がありません。いい感じですね。

春の散歩道

エゾエンゴサクの花が慎ましく咲いています。
木立の中に、別の案内板を見つけました。
「ハナタデ」という草の説明のようです。
遊歩道にはベンチも用意されていたりするのですが、
やがて落ち葉に覆われて、「道」が見えづらくなってきました。
というわけで、散策はここまで。車に戻りましょう。

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