この日はゴールデンウィーク最後の土曜日だったんですが、なるほど、これはかち合ってしまうと大変なことになりますね(笑)。
この模様は……!
さて、全体的に「アール・デコ調」のデザインが目を惹くこの「北海道ホテル」ですが、実は外観からして……こんな感じだったりします。「似て非なるもの」どころか「全く違うもの」なんだ、と自分に言い聞かせてみるものの、どうにも「アイヌ文様」を連想してしまっていけませんね……。これは違いますからね。関係無いですから!
意外と重要なポイント
さて、このホテルはすぐ横に駐車場があって嬉しい限りです。帯広の某ホテルは駅前のいい立地にあるせいか、駐車場まで少し歩かないといけないんですよね。ここだとそんなに歩かなくてもいいので、荷物が多いときでも安心です(これ、意外と重要なポイント)。
謎めいた遊歩道
そして、駐車場の先に、何やら遊歩道のようなものが……。確かに、これはどう見ても遊歩道ですね。
なんで遊歩道が気になるのか、という話ですが……。なんとなーく「線路の跡」に思えたのですね。確かに帯広から南に向かう「広尾線」という国鉄の路線があったのですが、広尾線は帯広駅からずーっと南東に向かって走っていて、そのまま札内川を渡っていたので、全く位置関係が合いません。
まぁ、「他人のそら似」のような勘違いだろう……と思ったのですが、ふと「北海道ホテル」の Web サイトを見てみると……。
●昭和41年(1966年)あんらま。「十勝鉄道」という軽便鉄道があって、ホテルのすぐ東側を南北に走っていたらしいです。あわてて「国土変遷アーカイブ」でも確認してみましたが、確かにこの遊歩道は「十勝鉄道」の跡そのものでした。
北海館は帯広市の都市計画に協力し、現在地に移転。ここは北海道絵画の巨匠、能勢眞美が住んでいたところで、東側にはとてっぽ(十勝鉄道)が走り、十勝の原風景ともいえる大きな森が残された場所でした。
だから何だ?と言えばそれまでなのですが、この手の「近代化遺産」が大好きなもので。昔、鉄道があったということは、当時は人または物の流れがあったということで、この「十勝鉄道」の場合は「甜菜」の輸送が大きなウェイトを占めていたのだとか。甜菜から採れる「糖」と、サトウキビから採れる「糖」にはどんな違いがあるのだろうとか、ワケの分からない方向に話が逸れてしまうのでこの辺で。
こちらは単なる土手です
ちなみに、遊歩道のすぐ西側には……このような土手というか、築堤のようなものもあります。ぱっと見たところでは、こちらのほうが線路跡っぽく思えるのですが、
当時の空中写真を見たところでは、これは線路の跡ではなくて、ちょっとした防風林っぽいものだったようです。
改めて地図を見てみると、目の前の遊歩道が「おかしい」ことは一目瞭然だったのでした。帯広の街路は「縦・横・斜め」が基本なのに、北海道ホテルの前を南北に通っている道は、明らかに他の街路と向きが違います。なぜこうなってしまったのかは、そこに軽便鉄道が走っていたから、だったわけです。
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