2012年10月20日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (81) 「本別海・走古丹・奥行臼」

本日は歴史のロマンが漂う巨編をお送りします(どこがだ)。

本別海(ほんべつかい、ほんべっかい)

pet-kay(e)?
川・折れる
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「別海」といえば「パイロットファーム」で有名……だと思ったんですが、若い方はたぶんご存じないかと思いますので、Wikipedia の記事を牽いておきましょうか。

国営根釧パイロット事業
1955年度~1966年度にかけて、北海道の根釧台地、別海町で行われた大規模酪農で、これは短期に酪農経営を確立することを目的として、世界銀行から融資を受けて行われた。開発は北海道、北海道開発局、農地開発機械公団(現緑資源公団)によりおこなわれ、約7000ヘクタールの原野を機械を用いて開墾した。最終的には約360戸が入植したが、経営の厳しさから事業が破綻し離農する者も多く見られた。
(Wikipedia 日本語版「酪農」より引用)
ふむふむ。国の事業だというのは知っていたのですが、世界銀行から融資を受けていたとは知りませんでした。それにしても「世界銀行」というのは凄いネーミングですよね。子供銀行の次に凄いと思います(←

大規模な開拓事業の結果がどうなったのかも引用部の通りなのですが、実際に別海に行ってみるとそれほど寂れている印象も無く、国の肝煎りで行われた開拓事業は「大成功」とは言わないまでも、「惨憺たる失敗」ではなく、それなりの成果を残した……と言えるかと思います。

で、「本別海」なのですが、「別海」と言えば根釧台地のど真ん中……というイメージがある中、本別海は別海町役場から 10 km 以上も東の、根室湾に面した海沿いにあります。さてその意味は……。まずはいつもの「角川──」(略──)を見てみましょう。

〔近代〕昭和47年~現在の別海町の行政字名。もとは別海町大字別海村・西別村・平糸村・厚別村・走古潭村の各一部。かつては別海または浜別海と呼ばれた地域。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1393 より引用)
ということで、「本別海」が「別海」になった、というわけでは無さそうな雰囲気です。なのでここからは「別海」の意味を見ていきましょう。今度は山田秀三さんの「北海道の地名」から。

 松浦氏東蝦夷日誌は「ベツカイ。川が折たと云儀か」と書き,永田地名解は「ペッ・カイェ。破れ・川。又折れ川とも。別海村」と書いた。語義がはっきりしない。ペッ(川)に,カイ(折れる。折れくだける),カイェ(折る)のどっちかがついた言葉。海岸の砂浜で,川口が曲がり,また破れるような処から呼ばれたのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.236 より引用)
本別海では、西春別や別海町役場のあたりを流れている「西別川」が根室湾に注いでいるのですが、野付半島や風蓮湖が形成されることからもわかるように、沿岸流が強いことが想像されます。そうすると河口が砂で覆われたり、流れを変えられたり……といったことがあるのかも知れません。pet-kay(e) で「川・折れる」とするのが妥当なのかなぁ、と思ったりもするのですが、なんで pet が前に来ているのかは良くわかりません……。

走古丹(はしりこたん)

asir-kotan
新・村
(典拠あり、類型あり)
風蓮湖を形成する砂州の先端部にある地名です。走古丹からずっと根室湾沿いに砂嘴を進んでいって、かつての「遠太の渡し」の先が春国岱です。

さ、今回も「角川──」()から。

根室地方南部,根室湾と風蓮湖の間の砂州。地名は,アイヌ語のアシリコタン(新村の意)に由来し,かつて根室のアイヌチンペイが勢力をもち,別海のアイヌを当地に移したことによる(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1165 より引用)
なるほど。asir-kotan で「新・村」ですか。どのように新しかったのかは引用部に記されている通りなのでしょうね。車で移動するには少々面倒なところですが、小舟があれば各所との行き来も容易な良いところです。

asirfusko(古くなる・古くある)の対義語なのですが、ややこしいことに「走古丹」の近所に「伏古遠太」という地名があるのだとか(「伏古」は fusko です)。

ちなみに、「本別海」の項でも触れていますが、もともとは「走古潭」という字があてられていたのを、別海町に合併されたのを機に、より画数の少ない「走古丹」という字に変えたようです。

奥行臼(おくゆきうす)

ukoyki-us-i?
戦い・いつもする・所
(? = 典拠あり、類型未確認)
えー、現在は「奥行」という地名らしいのですが、元々は「奥行臼」という地名だったそうです。国鉄標津線の駅名は「奥行臼」でした。

「角川──」()を見てみましょう。

 おくゆき 奥行 <別海町>
〔近代〕昭和47年~現在の別海町の行政字名。もとは別海町大字厚別村の一部。地名はアイヌ語のウコイキウシに由来し,「北海道蝦夷語地名解」には「争闘セシ処 根室ポロモシリ村のアイヌ厚岸アイヌと戦ヒシ処ナリト言フ」とある。かつては漢字をあてて奥行臼としていたが,のちに臼が省略された。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.271 より引用)
ふむふむ。ukoyki-usi で「戦い・する所」という意味みたいですね。たまに誤解されている方がいらっしゃるのですが、アイヌ同士の「戦い」というものも長い蝦夷地の歴史の中ではそれなりにあったみたいです。中でも「十勝アイヌ」の好戦ぶりは名高いですね。

ちなみに、「北海道駅名の起源」には次のような記載があります。

アイヌ語の「ウコイキ・ウシ・ナイ」(戦いのあった沢)から転かしたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.170 より引用)
んー、どこから「ナイ」が出てきたんでしょう……。道東のこの辺は「ペッ」が多くて「ナイ」は少ない筈なんですが……。

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