2012年10月14日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (80) 「野付・尾岱沼・床丹」

本日も、ライトなネタからディープな話題まで取りそろえてお届けします。ちょっと長いです(汗)。

野付(のつけ)

not-kew
あご・骨
(典拠あり、類型あり)
日本には「の」で始まる岬や半島が多いですが、この「野付」もその一つですね。さて、どういう意味でしょうか。今回も「北海道の地名」から。

 上原熊次郎地名考は「ノツケ。夷語ノツケウなり。則頤(おとがい。下あご)といふ事。昔時此所へ大きなる鯨流れ寄て,その頤此崎となる故字になすといふ」と書いた。
 ノッケウ notkeu(not-keu あごぼね)はただノッ(not あご)というのと同じ意味に使う。地名ではノッと同じように「岬」のことを呼んだ。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
なるほど。not(あご)なのは想像がついていたのですが、not-kew で「あご・骨」が由来でしたか。「あごの骨」とはこれ如何に……と思ったのですが、たとえば知床半島や襟裳岬のような、筋(山脈)がしっかりと通った「岬」とは違って、見るっからに「薄い」感じのする砂嘴である野付半島は、肉が無くなった「骨」という表現がしっくり来るのも事実です。

尾岱沼(おだいとう)

ota-etu
砂・岬
(典拠あり、類型あり)
アイヌ語において「湖沼」は to ですが、この「トー」という音に「沼」という表意文字を充ててしまうケースも存在します。有名なのは根室の「温根沼」ですが、ここ「尾岱沼」もそのパターンですね。ですから、「沼」は to と見て間違いない……と思いきや!

「北海道の地名」を見てみましょう。

 野付湾に突き出した市街地の処がこの名の発祥地であるが,この辺一帯の地名となり,また前面の湾のことにも使っているようである。おいしいあさりが採れる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
さすが山田さんです。おいしい「あさり」の情報は重要ですからね。続きを見てみましょう。

永田地名解は「オタ・エトゥ ota-etu。沙・岬」と書いた。それが「おたいと」と訛り、それに尾岱沼と当て字された。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
うー、つまり「沼」なんかは最初っから無かったということですね? そうなると、ちょっと気になるのが「新所の島」という島の存在です。


もしかしたら……ですが、この「新所の島」は、かつては尾岱沼と陸続きだった時代があるのかも……とか。というのも、もしそうであれば「砂の岬」で「オタ・エトゥ」という地名にピッタリだから、なんですが。

床丹(とこたん)

tu-kotan?
廃・村
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
尾岱沼の南側に位置する地名で、「床丹川」という川が流れています。床丹川の一つ北の川筋は「ライトコタン川」と言います。残念ながら「レフトコタン川」は見当たりません(←

さて、この「床丹」についても、山田秀三さんが秀逸なまとめを記されています。じっくりと見てまいりましょう。

 古い上原熊次郎地名考は「トコタン。夷語トゥコタンなり。トゥとは山崎の事,コタンとは村または所と申す事にて,此崎に夷家有る故此名有る由」と書いた。トゥ・コタン(tu-kotan 山崎の・村)と解したのだった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
ふむふむ。「峰・村」説ですね。うーん、地図を見た限りでは、あるいは実際に現地を車で走ってみても、それほど「峰」が特徴的には思えませんでしたので、これはもしかしたら考え違いかも知れませんね。

 松浦氏東蝦夷日誌は「トコタン。名義,沼村と云義也」と書いた。ト・コタン(to-kotan 沼・村)と解した。また「ライトコタン。是往古トコタンの川口也」と書いた。ライ・トコタン(死んだ・床丹川。床丹川の古川)と解した。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
ふむふむ。これは、現在の床丹の集落のあたりが沼のようになっていて、またかつての床丹川が河口部を北流して、ライトコタン川と合流して海に流れ出ていた、という説ですね。地図を見た限りでは、まったくあり得ない説では無いようにも思えます。

そして真打ちの登場です。

 永田地名解は「トゥ・コタン tu-kotan(二ッ・村)。今のトゥコタンとライチコタンを呼びて二ッ村と称せしが,後一村の名となりしとアイヌ云ふ」と書き、また「ライ・チ・コタン(死・枯・村)」と書いた。この方はライトコタンの別称らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235-236 より引用)
今度は「二つのコタン」説がでてきました。この説の秀逸なところは、これだと「ライトコタン」の説明がつかなくなるので、ray-chi-kotan という新説?を用意してカバーしている点にあります。

これら三つの説を列挙した山田さんの出した結論は……

 道内に(ママ)多くのトコタンはトゥ・コタン(tu-kotan 廃・村)であった。ここの床丹も元来はその意味だったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.236 より引用)
……。あろうことか、四つ目の説が出てきてしまいました(汗)。

ふつーに考えれば、「トコタン」は tu-kotan で「廃・村」とするのがセオリーなのですが、個人的には松浦武四郎説にちょっと惹かれるものがあります。ただ、一つ大技を決めることが前提になってしまうのですが……。


床丹川の河口のあたりを地形図で見てみると、床丹川とライトコタン川の間に、非常に短い川があることに気づきます(残念ながら「レフトコタン川」では無いですが)。実は、この「非常に短い川」が「ライトコタン川」だったとしたら、松浦説がとてもしっくりと来るのです。

この小川は非常に短く、雨でも降らないと水が流れないことが容易に想像がつきます。そして河口部で床丹川と合流しています。これは ray-to-kotan-pet(死んだ・沼・村・川)と呼ぶのに相応しいのではないかと。

もっとも、この考え方は「廃村」説でも成り立ってしまうという話もあったりしますが……。というわけで、結論は先送りにせざるを得ないですね、ハイ(汗)。to-kotan で「沼・村」、あるいは tu-kotan で「廃・村」のどちらか、だと思います。

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