屈斜路(くっしゃろ)
(典拠あり、類型あり)
言わずと知れた「屈斜路湖」の「屈斜路」です。「クッシャロ」だったり「クッチャロ」だったりしますが、同名の地名は道内各所にあったような気がします。意味は kut-char で、「喉・口」といった意味となります。知里さんの「──小辞典」を見てみましょう。
kut-char, -o くッチャㇽ 【H 北】沼から水の流れ出る口。沼の水が流れ出て川となる所。to-kutchar(沼の・のどもと)とも云う。kut(咽喉)と char(口)とから成った合成語で,原義は‘のどもと’‘咽喉から胃袋へ入る入口’の義である。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.55 より引用)
知里さんは、「川は生きものだ」という説を唱えていて、これには批判の向きも皆無ではないとは言え、広く世に受け入れられています。知里さんの(色んな意味で)不朽の名作とも言える「アイヌ語入門」から、少しそのエッセンスを抜き出してみましょう。古い時代のアイヌは,川を人間同様の生物と考えていた。生物だから,それは肉体をもち,たとえば水源を「ぺッ・キタィ」(pét-kitay 川の頭)とよび,川の中流を「ぺッ・ラントム」(pét-rantom 川の胸)とよび,川の曲り角を「しットㇰ」(síttok 肘)とよび,幾重にも屈曲して流れている所を「かンカン」(kánkan 腸)あるいは「よㇱペ」(yóspe 腸),川口を「オ」(o 陰部)とよぶのである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.40-41 より引用)
というわけなので、川に「喉元」がある理由も、これでご理解いただけたかと思います。和琴(わこと)
(典拠あり、類型あり)
屈斜路湖に突き出ている「和琴半島」という半島があります。地形図を見た限りでは、これはもともと独立した島だったものが岸とつながった「陸繋島」のようですね。山田秀三さんの「北海道の地名」の解説が秀逸なので、さっそく見てみましょう。和琴半島は尾札部川のすぐ西の処。湖面に浮かんだ島のような土地が,くびれた頸部で陸地と繋がっている処で,オヤコッといわれた。オヤコッは道内の処々にあった名で,永田地名解はオヤ・コッ(別・地),つまり「よその・処」と解し,知里博士はオ・ヤ・コッ(o-ya-kot 尻が・陸地に・くっついている)と訳した。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.275 より引用)
実際の地形と照らし合わせるに、知里さんの解釈が妥当に思えます。o-ya-kotuk で「尻・陸地・~にくっつく」という意味になりますね。ただ、「オヤコッ」がなんで「和琴」に化けたのか、という謎が残りますが……。なお和琴半島という名は,詩人大町桂月がこの地に遊んだ時に命名したのだという。アイヌ語名に因んで佳字を当てたものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.275 より引用)
ふむふむ。大町桂月と言えば「層雲峡」の名付け親として有名ですが、なかなかいい仕事をしてくれますね。ぐっじょぶです。尾札部川(おさつべがわ)
(典拠あり、類型あり)
少しアイヌ語地名をかじった方だと、この程度の名前はすぐに解釈できるようになるのでしょうね。o-sat-pe で「川尻・乾く・もの」ですね。山田さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
丸山の下から街道を西に 3 キロ行った処で,尾札部川が道を横切って流れていて,付近の土地は尾札部である。八重さんはこの川は上流にはいつも水があるが,川尻の処は,夏になると水がなくなるのだと語られた。正にオ・サッ・ペ「川尻・乾く・者(川)」なのである。下流は砂利底で,水が少なくなると下にしみ込んでしまう川なのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.275 より引用)
o-sat という名を持つ川は大抵がこのような伏流河川です。ちなみに引用部に出て来る「八重さん」は、「八重九郎さん」のことだと思われます。www.bojan.net
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