住居表示図
「望郷の家」のスロープには、このようなものも展示されていました。「水晶島 住居表示図」とあります。「住居表示図」ですから、もちろん……
各世帯の世帯主(だと思う)の名前も記されています。まるでゼンリン住宅地図のようですね。ちなみに、似たような感じで「秋勇留島」「春苅島」「勇留島」「多楽島」「志発島」「色丹島」「国後島」のものがありました(「択捉島」は別デザインで)。
立花さんのプライベートビーチ
この中では「春苅島」の「住居表示図」がちょっと凄かったのでご紹介を。一世帯しか記されていません。立花さんという方のようです。島全体がプライベートビーチというヤツでしょうか。
「税庫」の謎
「志発島」については、こんなニューデザインのものも。右上のほうを拡大してみましょう。
なるほど。「志発」は「しぼつ」と読むそうなのですが、アイヌ語の sipe-ot から来ているのですね。sipe とは「本当の食べ物」即ち「鮭」を意味します。sipe-ot で「鮭・群在する」という意味になりますね。
ちなみに、「税庫」という地名が見えますが、これは sey-ko-oma-i(貝殻・そこに・ある・所)の下略されたものと見る考え方と、実際に租税関連の庫があった、という見方の二通りがあるそうです。
……あ、書庫が違うか(笑)。
択捉島の地図
択捉島は何しろ広いので、住居表示図もピンポイントになっています。まず全景の図があって、「紗那村」の「住宅地図」があります。
ちなみに、択捉島においては、もともとはオホーツク海に面した「紗那村」が最も栄えていたらしいのですが、昭和初頭あたりには中央やや南西寄りの「留別村」のほうがより繁栄したのだそうです(真珠湾に向かって連合艦隊が出撃した「単冠湾」や、その南西には「天寧飛行場」などがありました)。
小学校通学区域図
「──小学校通学区域図」なんてものもありました。一番下が、飛行場があった「天寧」のあたりのものですが、Google Earth などを見てみても、第一滑走路と第二滑走路の跡を今でも見ることができます。旧滑走路の南西 1 km ほどのところに 2,380 m の滑走路が存在していて、現在は軍用機と民間機がこの滑走路を兼用しているようです(ブレヴェスニク空港)。
まとめ
こういった情報が、このようにまとめて展示されていました。www.bojan.net
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