2012年8月28日火曜日

道東の旅 2011/春 (115) 「ハラショー!」

色丹島旧島民の生活

さて。「報道用・商業目的の撮影お断り」の「平和の塔」の中に入ってみました。展望台に上がる前に、1 階部分になにやら展示があるようなので、まず展示を見てみましょう。
こちらも手書き感満載の「色丹島旧島民の生活」という文字が躍ります。「制作 北海道根室高等学校地理研究部」とあるように、これは高校生の手によるもののようです。

ご覧の通り、かなり多くのパネルが並べられているのですが、もともとは冊子として作成されたものを展示しているようですね。まずは表紙から。
並びの関係上、いきなり「その 4」から見てしまっていますが……。この「研究」は 1988 年になされたもののようです。当時はまだ「ソ連」が健在でした。
時期的には「文豪」や「OASYS」、「Rupo」や「書院」などの「日本語ワープロ専用機」が全盛だったころなので、最近では滅多に見かけなくなった「倍角文字」が見出しで踊っています。懐かしいですね。

どうやらこの年は絵心のある部員さんがいたようで、随所でこのようなイラストを見ることができます。

色丹島にはビリヤード屋が 3 軒もあった

こんな記事もありました。
これは「色丹島」の話題ですが、パチンコ店が 2 軒あったのはさておき、ビリヤード場が 3 軒もあったというのは驚きです。イラストもなかなかいい味を出していますね。

国策映画は往々にして退屈な代物

敗戦後の千島列島では、ソ連軍が南下してくると同時に住民は本土へと脱出していった……と漠然と思っていたのですが、実際には少なからぬ数の人が逃げ遅れていたようですね。逃げ遅れた日本人を「教化」するために、ソ連もお決まりの手を使ったようですが……
国策映画が往々にして退屈な代物なのは、世の東西を問わないということかも知れませんね。

このような感じで、基礎的な知識からトリビアまで、なかなか興味深い内容が盛りだくさんだったりします。「酒好きのロシア人は、羅針盤の中にアルコールが入っているのを知って、島中の羅針盤を全部壊してしまった」という、まるでアネクドートのような話までありました。

ハラショー!

この話もなかなか面白いです。
「兵舎づくり」と題された記事ですが、一部を引用しますと……

その頃、色丹島にはソ連軍の国境警備隊が大勢入っていて、兵舎づくりをやらされていました。ソ連兵は馬の扱いに慣れていて、四頭引きで山から丸太を切り出してきては「ベステレ、ベステレ」(早くやれ)と言います。木工場がなく、すべて手斧(ておの)や鉞(まさかり)で木を削り、それから墨入れして、鋸(のこぎり)と鑿(のみ)で切込み仕事をするのですから目に見えて家が建ちません。ソ連兵は、早くしないと牢に入れると脅し、布川さんたちをせき立てます。
 一本でも柱を建てると納得するのでしょうが、日本式の建て方をソ連兵は解らないのです。布川さんたちは、木材の切り込みが終わって一斉に建て前をするのです。「日本人は頭がいいから、今に一気に建ててみせる」と説明しても、なかなか信用しません。ところが半年くらいして一挙に兵舎の棟上げをしたところ、ソ連軍将校も「ハラショ、ハラショ」と大喜びで、それ以来、布川さんらを建築技術者と認め、掌を返したように待遇が良くなったということです。
(「色丹島旧島民の生活記録と観光客対象の意識調査」北海道根室高等学校地理研究部 1988 より引用)
ありゃ。ほぼ全てを引用してしまった(汗)。この話はハッピーエンドなのが素晴らしいですね。シベリア抑留のような悲惨な話で無いのが救いです。

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