2012年8月22日水曜日

道東の旅 2011/春 (111) 「日ソ民間漁業協定」

珸瑶瑁三丁目

納沙布岬の灯台の近くで「最東端の難破船」を眺めていたのですが、右に 135 度ほど振り返ってみると……
珸瑶瑁三丁目の町並みが。意外と近いんですね。

高碕達之助先生顕彰碑

灯台のあたりは一通り見終えたので、今度はあのでっかい塔(灯台では無かった!)に向かいましょう。
よーく見ると、手前にいくつか石碑などが見えます。中でも飛び抜けて立派なものがこちら。
高碕達之助先生顕彰碑」とあります。……お名前を存じ上げないのですが、一体どのような功績のあった方なのでしょうか? 裏に回ってみましょう。
石碑の大きさがよーくわかりますね。3 m 近くありそうな雰囲気です。……で、何をされた方なのか、でしたね。
ふむふむ。「大日本水産会」という業界団体?の会長をつとめられていた方のようです。戦後、千島列島全域がソ連の実効支配下におかれてしまったせいで根室沖での操業ができなくなっていたところを、ソ連と交渉を重ねて「日ソ民間漁業協定」の締結に導いた……のだそうです。

高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。電源開発初代総裁、通産大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。
(Wikipedia 日本語版「高碕達之助」より引用)
この石碑を見ただけでは「そんな大げさな」と思わないでもなかったのですが、こうやって改めてその足跡を辿ってみると、これだけの石碑が建つだけの仕事をされた方だったのだな、と思えてしまいます。ちなみに下の方のプレートには、
根室市と、各地の漁協の名前が並びます。まぁ、当然でしょうね。

返せ北方領土

もう一つ、形は違えど、これまた立派な石碑がありました。
西からは「鎮魂」の文字が見えます。そしてその裏側には……
ちょっと見えづらいので拡大しますが……
「返せ北方領土」の文字が躍ります。下にもいろいろと文字が刻まれているのですが……ちょっと読み取れませんでした(もしかしたらかつての陸軍?の部隊名かも知れません)。すいません。

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