2012年6月24日日曜日

道東の旅 2011/春 (63) 「幻の町『キラク』」

通行屋?

というわけで、昨日も少し紹介した「野付半島の歴史と史跡」について、もうちょいと続けます。
昨日に引き続き、少しずつ引用してみましょう。

 寛政11年(1799)に幕府によって、国後島に渡る中継点としての重要性から通行屋が作られました。通行屋のほかに蔵などもあり、ロシアの南下に備えて警備していた武士もいたようです。また、通行屋に番人がいて妻同伴で仕事をしていたこともわかっています。番人のほかにアイヌが8人くらい詰めていて、渡海用の船が用意してあり、渡海の賃銭も決まっていました。
(野付半島ネイチャーセンター内展示パネルの説明文より)
「運上屋」というのは聞いたことがあったのですが、「通行屋」なんてものもあったのですね。そして当時の野付のあたりは「千島への玄関口」として大いに栄えていたことを伺わせます。
その「通行屋」の跡も現在では遺跡になっているのだそうですが、
残念ながら、水没の危機にあるのだとか。

幻の町「キラク」

「野付半島の歴史と史跡」に戻りますが、この「通行屋遺跡」に関連した面白い言い伝えがあるそうです。

 この地方に「幻の町キラク」という言い伝えがあります。「野付崎にキラクという歓楽街があり、遊女もいた、鍛冶屋もあった。」など、昔、鰊漁で多くの人々が集まり、漁番屋も多く、野付から国後島に行き来する人も多く、こうしたことが「幻の町キラク」の伝説を作り上げたように思われます。
(野付半島ネイチャーセンター内展示パネルの説明文より)
これは面白いですねー。野付半島は左右を海で囲まれた砂嘴なので、そんなに広い土地があるわけでも無いのです。ですから「幻の町」などが存在する余裕は無い筈なのですが、そういった「夢」を語ることができるほどの繁栄の兆しがあった、ということなんでしょうか。こういった「幻」が生まれるメカニズムは興味深いものです。

野付の先人

続いては「野付の先人~加賀伝蔵~」という展示です。
えー、この方のことは聞いたことがあるような気もするのですが、19 世紀初頭に蝦夷地に渡って、アイヌ語の通訳をした方なのだそうです。「別海町郷土資料館」の附属施設として「加賀家文書館」というものがあって、そこで「加賀家文書」の閲覧?ができるのだとか。

ゴマフアザラシも

とまぁ、郷土の歴史に関するお堅い?展示が続きましたが、
エゾシカやゴマフアザラシの剥製が展示してあったり、
ミンククジラのヒゲが置いてあったり、
タンチョウヅルやハクチョウの剥製が飾ってあったりと、野生動物系の展示もなかなか充実しています。

重要情報

野付半島で観察された鳥類の一覧などがホワイトボードにまとめられているのですが、
ひっそりと右上にこんな情報も。
あうー。皆様もご存じの通り、翌日の 5/5 も通行止だったのでした。

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