クラックの話
引き続き、中央部が撤去されて東西に分断されてしまった「越川橋梁」の「西側」を見に行きます。ということで、国道を横断して……と。ご覧の通り、アスファルトにも結構なヒビが入っています。この路側のヒビは温度差によるもの(寒いと収縮し、暑いと膨張する、の繰り返し)だと思うのですが、この理屈は他ならぬ「越川橋梁」にも当てはまるわけで、いつしか橋にもヒビが入って……という可能性が考えられますね。
そんなことを考えながら、1 連だけ残っている西側のアーチを見てみると……
既にクラックが入っている、ようにも見えてしまいますね。もっとも、これはクラックではなく、寒暖の差による収縮と膨張を見越して予め入れられているスリットのようですが……。というのも、
反対側から見ても、同じところに同じ長さでスリットが入れられているように見えるので。
スロープの先には
さて、上の写真では左に向かって伸びるスロープのような坂道が見えると思います。また別のアングルで越川橋梁を眺めることができるかも知れないので、ちょっと登ってみましょう。スロープの途中には水路が見えました。傾斜と直交する向きに流れているので、これは人為的な水路のようですね。で、スロープを登り切ると……
何やら良くわからない、一面の更地です。あまり見るべきものは無さそうなので、スロープを下りようとすると……あれ? もう一台車が止まっています。
キャンピングカーのドライバーさんも、車から降りて越川橋梁をカメラに収めていました。話を伺ってみると秋田からいらっしゃったとのこと。こういった偶然の出会い?があると、ちょっと楽しくなりますね。
定点撮影っぽく
この「越川橋梁」に来るのは実は二回目で、以前に来た時は夏なので、周りの木々も青々としていました。今回は
こんな感じなので、随分と雰囲気も変わるものですね。定点撮影っぽくしたかったのですが、微妙にアングルもズレていたのが残念です。
越川橋梁の最期
ちなみに、今更ですが……1939年、越川駅 - 上越川駅間の国有鉄道根北線の橋梁として建設が開始される。周囲数km四方に民家すらない北海道の山間奥地に作られた全長147m、最大地上高21.6m、軌道の勾配25パーミルの10連のコンクリートアーチ橋。軍事体制下で不足していた鉄筋を使わずに造られている。多くのタコ部屋労働者が使役され、11人の者が命を落とした。
(Wikipedia 日本語版「越川橋梁」より引用)
北海道で「タコ部屋」と言えば「常紋トンネル」が有名ですが、この越川橋梁も似たようなものだったようです。しかもこの「越川橋梁」には「人柱」が埋められた、といった耳を疑うような話も残されています。このように、労働者の人権を蹂躙してまで建設が強行された「越川橋梁」ですが、1941年には太平洋戦争の影響による物資欠乏のため根北線の建設は中断される。越川橋梁はほぼ完成した状況にあったが、戦後になっても根北線の越川より根室標津方が開通することのないまま、1970年に根北線自体が廃止され、結果として一度も使用されることはなかった。
(Wikipedia 日本語版「越川橋梁」より引用)
という悲惨な結末を迎えたのでした。www.bojan.net
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