DEATH じゃなくて JEATH
さてさて。我らがナムトク行き 257 列車は、クウェー河橋梁駅を 10 分遅れで発車しました。列車は、ゆっくりと「メクロンの永久橋」を渡ってゆきます。
ご存じの方も多いと思いますが、「泰緬鉄道」の建設は、東南アジア諸国の労働者や連合国軍の捕虜を大量に投入して突貫工事を行った結果、多くの犠牲者を出してしまいました。中でも象徴的な場所が、この「戦場にかける橋」のあたりなので、橋の両側には慰霊碑などがあると聞いていたのですが……
はい。確かに何やら碑が立っていますね。拡大してみると……
あれ? 「中國遠征軍 功高如天」という文字が見えます。
前述の通り、この「泰緬鉄道」は多くの犠牲者を出した上で開通したものなので、欧米では "DEATH Railway" というアクロニムで呼ばれていました。曰く、Dutch、England、Australia、THailand の人々の「犠牲」の上で建設された鉄道であるから、それぞれの頭文字を取って DEATH ということのようです。
一部では "A" が「アメリカ」とする説もあるようですが、このあたりにはアメリカ人の捕虜は殆どいなかった筈なので、おそらく何かの間違いだと思います。あと、Death の "D" は Dutch だったと記憶しているのですが、意外と裏取りに難航しています……。
ただ、今ではすっかり観光鉄道になってしまった「ナムトク線」を、歴史的経緯があるとは言え「死の鉄道」と呼ぶのはタイの人々には苦痛だったようで、今では "JEATH Railway" という「新語」で呼ばれているようです。即ち、Japan、England、Australia、Thailand そして Holland ですね。
というわけで、余計なうんちくを傾けてしまいましたが、泰緬鉄道の建設に中国人が借り出された、というのは聞いたことがなかったので、少々驚いている次第です。
列車は西へ
さて。列車は一路西へと向かいます。車窓の風景はこんな感じで、殆ど人家は見えないものの、割と整備された道路もあり、人跡未踏のジャングルといった雰囲気ではありません。
日本の農村の風景とちょっと違うのは、ぽつんぽつんと木々が多く生えているところでしょうか。遠くに牛の姿も見えますね。とても平和な景色です。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿