2012年4月15日日曜日

「日本奥地紀行」を読む (26) 東京 (1878/6/9)

さて。「日本奥地紀行」初版では、横浜でのイザベラさんの求人模様を中心に展開された「第四信」(本来は「第六信」)の次に「第七信」があったのですが、「普及版」ではバッサリとカットされています。

ちなみに、カットされた「第七信」の内容は次の通りです。「演劇の改良」「古代演劇」「近代的演劇」「舞台」「改良劇場の杮落」「役者達」「開演の辞」「道徳改良」「いらいらする騒音」「喜劇的牧歌」

というわけで、ここからは 1878/6/9 付けの「第五信」(本来は「第八信」)を見ていきましょう。

浅草観音

イザベラは北方へ旅立つ直前に、浅草の浅草寺を見に行っています。

 一度だけ仏教寺院のことを書いてみることにする。これは一年中祭礼をやっている有名な浅草寺で、慈悲の女神である千手観音を祀ったものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.52 より引用)
「普及版」では、この文章の次に、「寺院建築の均一性」として「一般的に言って──」で始まる文が続くのですが、「初版」では以下のような「原注」が記されています。かなーり長いので、全文は引用できないのですが……。

原注1:クワンノンと発音される慈悲の女神であるクハンオン[クワノン;観音]は、日本の神々のなかで最も人気のある女神であり、中国から伝来されたが、中国ではクワンイン[quanyin]として知られている。以下の記述と観音の起源については、F. V. ディキンズ氏からいただいたものである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.35 より引用)
「音」という字は、現代の日本でも「オン」とも「イン」とも読めますが、「オン」が漢音で「イン」が呉音だったでしょうかね。ここからは「F. V. ディキンズ氏」による「観音の起源」が続きます。

 「多分観音[観世音菩薩・観自在菩薩]は、インドから到着した仏教の伝道者によってもたらされた。中国人の間で、主要な女神とみなされており、彼らによって作り出されたのが自分たちの神、アヴァロキシュワラで、男性で聖職の筆頭である。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.35 より引用)
ふむふむ。観音様も元はインドの出なんですね。それにしても「中国人の間で──筆頭である」の文章はとても難解ですね。正直言って意味がよくわかりません(←

さてさて。どうして観音様に手が千本できてしまったのか……という謎についての解説に移ります。

一つの像が建てられるように命じられ、これは眼と腕を完全に揃えるように注文されたが、しかし、「完全」(ワンチェン)[wanquan]という言葉が「千」(チァン)[qian]と間違われ、千の腕と眼をつけられてしまった。」
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.36 より引用)
……(笑)。本当かなー? こういった「説話」は楽しいものですが、荒唐無稽なものが多いですからね。まぁ、ネタとして面白いので良しとしましょうか。

 「千の手を持つ観音(クワンノン)[千手観音]」は仏教の布教者と共に日本に来て、彼女に対する偶像崇拝は帝国[日本]のなかで最も人気のあるものとなった。京都の三十三間堂寺院には、3 万3000体ものこの像が収められている(といわれている)が、そのうちの1000体は人間より大きい。それは、日本における最も印象深い光景の一つである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.36 より引用)
おっと、イザベラから「三十三間堂」の話を聞くことになるとは予想外でした。三十三間堂は六波羅のあたりで、豊国神社にも近いところです。

寺院建築の均一性

初版では前述のような「濃くも楽しい説話」が付記されていたのですが、普及版ではあっさりと次の文が続いています。

一般的に言って、日本の仏教寺院は、設計、屋根、外見において、いずれも似ていると言ってよい。神聖な建造物を作ろうとするときは、常にほとんど同じ様式によって表現される。一つ屋根か二重の屋根の門があり、両側には壁龕が設けてあり、極彩色の像を安置している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.52 より引用)
厳密に見てみれば、どの寺院もオリジナリティがあるのですが、イザベラの目には「いずれも似ている」となってしまうのですね。「壁龕」は「へきがん」と読み、おもにゴシック建築で用いられる「古典的建築意匠」だそうです。詳しくは Wikipedia の記事をどうぞ。

象徴、偶像、装飾品は、その寺の属する宗派、あるいは信者の富によって、あるいは僧侶の好みによって異なる。仏像、祭壇、青銅や真鍮の器具、位牌、装飾品などが満堂にあふれている寺院もあり、門徒宗の寺院のように、きわめて簡素なもので、ほとんど改変しなくても明日にはキリスト教徒の礼拝に用いられるような寺院もある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.52-53 より引用)
その建築様式については「常にほとんど同じ様式」としたイザベラですが、寺院の中の備品については様々である、と理解したようです。「門徒宗」という表現は耳慣れないのですが、どうやら「浄土真宗」のことだったのですね(汗)。

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