2012年3月24日土曜日

「日本奥地紀行」を読む (20) 東京 (1878/6/7)

引き続き 1878/6/7 の「第四信」を見ていきます(本来は「第六信」でした)。

召使を雇う

前のセンテンス「中国人の買弁」は、普及版の「日本奥地紀行」ではバッサリとカットされていましたが、ここからの「召使を雇う」は、普及版にもしっかりと収められています。では、見ていきましょう……。

 数人の新しく知り合いになった人々が、召使い兼通訳という《私にとって》重大な問題について、親切にも心配をしてくれた。多くの日本人が、その職を求めてやってきた。英語をよく話せることが、必須条件である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.44 より引用)
はい。イザベラは、北海道まで召使い兼通訳を一人帯同しようと考えているようです。条件はもちろん「英語をよく話せること」ですね。

応募者たちが、発音が下手で、さらに単語をでたらめにつなぎあわせて、それでも十分な資格があると考えているのには恐れ入った。「英語が話せますか」。「イエス」。「給料はどれほど欲しいのですか」。「一月に十二ドル」。これはいつもぺらぺらにしゃべるので、どの人の場合も希望がもてそうな気がした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.44-45 より引用)
なかなか手厳しいことが書かれていますね。当時は高等教育の場で英語を学ぶことも無かったでしょうし、そもそも「高等教育」自体も存在しなかったでしょうし。何かのきっかけで外国人の家に住み込みで働くことになって、耳と口で英語を覚えた……というのが大半だったのでしょうね。

「今まで旅行したところはどこですか」。この質問は、いつも日本語に訳してやらなければならなかった。返事はいつもきまっていた。「東海道、中山道、京都、日光」。いずれも多くの旅行者がよく出かけるところである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45 より引用)
なかなか興味深い答えが返ってきますね。多くの場合、これらの旅行先は、以前の、または現在の「ご主人様」の旅行に随行した、ということなのでしょう。京都や日光は当時から外国人に人気があったことを覗わせます。

「北部日本や北海道について何か知っていますか」。「ノー」と気の抜けた顔をして答える。いつもこの段階まで来ると、ヘボン博士が同情して通訳をかって出る。彼らの英語力は底をついてしまうからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45 より引用)
なんだか光景が手に取るように見えてきますね(笑)。助け船を出してくれるヘボンさんは本当にいい人です。

さて、こんな頭を抱えたくなるような面接を続けていても、中には「有力候補」が出てくるもののようで……。

 三人だけ有望に思えた。一人は元気の良い青年で、明るい色のツイード地で仕立ての良い洋服を着てやってきた。カラーは折襟で、ネクタイにはダイヤ《?》のピンをつけ、白いシャツは糊のよくきいた固いもので、ヨーロッパ風の浅いお辞儀すら身をかがめてできそうもなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45 より引用)
イザベラの文章は、栄えある大英帝国の女性らしく、ところどころに「英国風」の筆致が見え隠れするのですが、これなんかもそうですね。「浅いお辞儀すら身をかがめてできそうもなかった」というのは、とてもシニカルな表現です。いやまぁ、本当にそうだったのかもしれませんが(笑)。

金めっきの時計鎖にはロケットをつけ、胸のポケットからは真っ白な上質カナキンのハンカチをのぞかせ、手にステッキとソフト帽をもつといういでたち。この第一級の日本のダンディを見て、私はぞっとした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45 より引用)
むむむ……。ひたすら元気良く「ゲッツ!」を繰り返していたのでしょうか(←

こんなりっぱな洋服を着て奥地へ出かけたら、いたるところで物価を高くされるであろう。さらに、このような見栄坊に下男の仕事を頼もうとすると、いつも難儀するにちがいない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45 より引用)
あははは(笑)。いやいや、まったくご尤もなご指摘です。でも、事前にこういった予測ができるという点については、イザベラはさすがに旅慣れているなぁーと感じさせますね。

そこで私は、この男が第二の質問を受けて、はたと英語が口から出なくなったとき、まったくほっとした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.45-46 より引用)
はい。この時点でダンディはあえなく消え去ることが確定したのでした。緊迫の?選考プロセスはまだまだ続きます!

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