東京の第一印象(続)
では、「東京の第一印象」と題されたセンテンスの続きを見てみましょう。何百台という人力車(クルマ)や幌馬車が、駅の外で待っていた。馬車は、一頭の哀れな馬が引くもので、東京のある区域では乗合馬車となっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.39 より引用)
「哀れな馬」というのが二通りの意味に取れるので、どうなのかなーと思って引用してみました。「馬車を引く」という行為が「哀れ」なのか、それとも馬自体の体格?が「哀れ」なのか。日本の馬は、ヨーロッパ人の目には小柄な「駄馬」として映っていたようですので。あ、もしかしたら両方の意味を兼ね備えていたのかもしれませんね。それから、私のために一頭立て四輪箱馬車《ブルーム》が、一緒に走る馬丁(ベットー)とともに待っていた。公使館は麹町にあって、そこは歴史的な「江戸城」の内濠の上の高台となっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.39 より引用)
特別仕立ての「ブルーム」で公使館へ……というと、随分と「特権階級」であるように思えますが、……実際にそうだったんでしょうね(「名の知れた英国人」という時点で、充分に特権階級だったのでしょう)。汐留から麹町と言えば、どちらも日テレの……(どうでもいい)。しかし、そこへ行く途中で私が見たものは、詳細にお話ができない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.39 より引用)
なんだか思わせぶりな書き方ですが、この後は江戸城のお濠や、そのまわりの武家屋敷について、イザベラ風の筆致でしっかりと記されています。いちだんと目立つ高台に、屋敷の大きな赤い門がある。これは今ではフランス軍事使節団が入っているが、もとは、日本の近代の歴史の中で最も重要な役割を演じた人物の一人で、ここからほど遠くないお城の桜田門外で暗殺された井伊掃部頭(イイカモンノカミ)の屋敷であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.40 より引用)
昨日の記事で紹介した「堺事件」もフランス関係の「事件」だったのですが、こうやって記されているのを見ると「ああ、フランスも当時の日本に来ていたんだなぁ」と思わせます。いや、幕末の混乱期に出てくるのはアメリカだったりロシアだったりですし、その後イギリスとは同盟を結んだりしていますし。そんな中で、ヨーロッパの有力な国の中では、意外と目立った接点がないんですよね、フランスって。そして、「井伊掃部頭」のこともちゃんと記事にしているあたりは流石だなー、と思います。受験生のみなさんは、「桜田門外の変」と「蛤御門の変」を間違えないようにしましょう(たぶん間違えない)。
これらのほかに、兵舎、練兵場、警官、人力車(クルマ)、車引きが押したりひいたりする荷車、草鞋をはいた駄馬、洋服を着ているが小びとのようでだらしない格好の兵士たち──これらが新橋から公使館へ行くまで私の見た東京のすべてであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.40 より引用)
相変わらず、「駄馬」と洋服姿の日本人には筆致が厳しいですね(笑)。英国公使館
英国公使館は良い場所にあって、外務省や幾つかの政府の省、大臣たちの公舎の近くである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.40 より引用)
現在のイギリス大使館は、半蔵門から少し北に行った千鳥ヶ淵のあたりにあります。あのあたりは、特に午前中は陽光うららかで、確かにいい所です。それらは英国人の家屋であり、英国人の家庭である。しかし、一人のりっぱな乳母を除いては、英国人の召使いはいない。召使い頭と従僕は、背の高い中国人で、長い弁髪をさげ、繻子の黒い帽子をかぶり、青色の長い衣服をつけている。料理人は中国人で、その他の召使いたちはすべて日本人である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.41 より引用)
以前の記事で、「(アングロサクソンである)イザベラに日本人と中国人の区別がついたのだろうか?」と疑問を呈したことがあったのですが、なるほど当時の「中国人」が清朝の風俗を身にまとっていたとすれば、確かに区別がつきますね。これを見ると「召使い頭」は中国人だったみたいですが、どうしてなんでしょうね。イギリスは、日本が開国する前から中国に進出してたんでしたっけ?召使いは誰もが、全くしゃくにさわる波止場英語(ピジン・イングリッシュ)しかしゃべれないが、利口で忠実に仕えてくれるので、そのめちゃくちゃな英語を補って余りあるものだ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.41 より引用)
「ピジン英語」とは……。イザベラはなかなか渋い表現を使いますね(笑)。ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin languageまたは単にPidgin)とは、現地人と貿易商人などの外国語を話す人々との間で異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。
英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。英語で単に“pidgin”といった場合、文脈によっては「ピジン英語」(Pidgin English)をさす場合がある。
(Wikipedia 日本語版「ピジン言語」より引用)
ふむふむ。ピジン日本語の例
「私、中国人あるね。」→協和語
(Wikipedia 日本語版「ピジン言語」より引用)
あ、これはわかりやすい例だ(笑)。英国人の家庭
閑話休題……。二人の英国人の子どもがいる。六歳と七歳で、子供部屋や庭園の中で子どもらしい遊びを充分に楽しんでいる。その他に邸内に住んでいるのは、美しくてかわいらしいテリア犬である。これは、名をラッグズといって、スカイ種であり、家庭のふところに抱かれるとうちとけるが、ふだんは堂々たる態度で、大英帝国の威厳を代表しているのは彼の主人ではなく彼自身であるかのようである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.41 より引用)
この一節は、図らずもイザベラの「個人情報保護」の考え方を窺い知れる好例ですね。テリア犬のことは名前も含めて詳細に記しているにもかかわらず、その飼い主などの情報については一切触れていません。また、子どもについても同様ですね。このようにして、公私を弁えつつ事細かに記してくれているおかげで、当時の生活などをリアルに追想できるのはありがたい限りですね。
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