似合わぬ洋服
まずは「似合わぬ洋服」と題されたセンテンスから。日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37 より引用)
今では日本人の体格も随分と良くなりましたが、昭和初頭のあたりまではどうしてもアングロサクソンから見れば「一回り小柄」だったのは否めないところですね。これは栄養状態や気候によるところが大きいのだと思います。ただ、イザベラの文は事実(所感ですが)の列挙にとどめているところに好感が持てます。つまり、えーと、「似合わない」とは言うものの「やめなさい」とは言ってないところに、です。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。顔に色つやがなく、髭を生やしていないので、男の年齢を判断することはほとんど不可能である。鉄道員はみな十七歳か十八歳の若者かと想像したが、実際は二十五歳から四十歳の人たちであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37 より引用)
これはまた……。まぁ、見ての通りの酷い書かれようなのですが、それにしても「国民的欠陥」というのは何とも……(笑)。この「国民的欠陥」も、一世紀以上の年月を経て、それなりには改善されていると思いたいのですが、いかがでしょうか。関東平野
続いては「関東平野」と題されたセンテンスを見てみましょう。うららかな日で、英国の六月に似ていたが、少し暑かった。日本の春の誇りであるサクラ《野生のチェリー》やその同類は花を終わったが、すべてが新緑で、豊かに生長する美しさにあふれていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37 より引用)
日本の「初夏」は、イザベラの目には概ね良い印象を残したようですね。横浜のすぐ近辺の景色は美しい。切り立った森の岡があり、眺めのよい小さな谷間がある。しかし神奈川を過ぎると、広大な江戸平野(関東平野)に入る。これは北から南まで九〇マイルあるといわれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37 より引用)
現代の「横浜駅」の位置を考えると少々違和感を憶える文ですが、イザベラの言う「横浜」は、本牧の北に広がる「山手」の部分を指しているのだと考えれば違和感は氷解します。「眺めの良い小さな谷間」は、もしかしたら今の「戸部」や「平沼橋」のあたりのことでしょうか。汽車から見渡す限り、寸尺の土地も鍬を用いて熱心に耕されている。その大部分は米作のため灌漑されており、水流も豊富である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37 より引用)
今では見る影もありませんが、明治の初頭は鶴見や川崎のあたりもこんな感じだったのでしょうね。いたるところに村が散在し、灰色の草屋根におおわれた灰色の木造の家屋や、ふしぎな曲線を描いた屋根のある灰色の寺が姿を見せている。そのすべてが家庭的で、生活に適しており、美しい。勤勉な国民の国土である。雑草は一本も見えない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.37-38 より引用)
イザベラは、この「灰色」という表現を好んで使っているようですね。比喩的な表現かな、とも思ったのですが、どうやら見たままの色合いを表しているようにも思えます。日本人としては、「勤勉な国民の国土である」という一文は誇りに思わないといけませんね。www.bojan.net
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