古池や……
後鳥羽院の行在所跡を見て、「敷地は八十坪くらいかな。思った以上に狭いなぁ」などと思いつつ、右に 135 度ほど向きを変えると……なにやら池が見えます。案内板があるので、見に行きましょう。
いかにも人工的に作られた感が漂う古池ですね。案内板をフォトショで変形・拡大してみます。
御製は「蛙なく」で始まっています。てっきり「古池に飛び込む蛙すらいなかったのか」と勘違いしたのですが、実際には「蛙鳴く」のようでした。orz
火星ちゃん
さてさて。この「勝田の池」のまわりには、いくつも木が植えられているのですが、たとえば……こちらは「義宮殿下御植樹」とあります。これはおそらく常陸宮正仁親王のことですね。今上の弟宮にあたるのですが、どういった方なのか、今ひとつピンと来ません。Wikipedia の「生い立ち」によると……
戦後は、皇太子明仁親王(当時)とともに、開かれた皇室のイメージを自ら演出。正仁親王をモデルとして描かれたとされる漫画の主人公から命名された「火星ちゃん」(表題・キャラクターと同名)の愛称で、国民に親しまれる。
(Wikipedia 日本語版「常陸宮正仁親王」より引用)
むむむ……。そんな漫画があったんですねぇ……。皇族らしい風格の持ち主と言われ、父帝昭和天皇の学究肌の性格をよく受け継いでいるとも言われる。皇室では叔父の三笠宮崇仁親王とともに学者として豊富な研究成果を挙げており、高い評価を受けている。英語も堪能。海外の学会にもたびたび参加している。その温和な性格を示すものとして、「昼食の際、女官がナプキンの用意を忘れたことに気付いたが、彼女を気遣って何も言わず自分のハンカチを膝に載せていた」というエピソードがある。
(Wikipedia 日本語版「常陸宮正仁親王」より引用)
ふむふむ……。なんだか凄く共感できるキャラクターでいらっしゃるようです。ハンカチのエピソードなんか、自分が同じ立場だったら同じことをしそうなので。惜しくも枯れて今は切り株のみ
続いてはこちら。「皇太子殿下御手植」とありますね。いつの時代の皇太子殿下なんだろう……という謎もあるのですが、右側に「大正?年七月?日」と刻んであるように読めるので、これは「皇太子殿下」=「昭和天皇」だということなのでしょう。
そしてこちら……
「皇太子同妃両殿下行啓記念植樹」とあるのですが……左側にはポツンと切り株が(汗)。書体や風化の度合いから考えると、ここで言う「皇太子同妃両殿下」は、今上天皇・皇后両陛下のことのように思われます。大変残念なことに、切り株になっちゃってますねぇ……。確かに、先ほどの案内板にも
大正・昭和両帝が皇太子時代にお手植の松を「二代目音無しの松」と称していたが、惜しくも枯れて今は切り株のみ残されている。
とあります。……てことは大正天皇が(皇太子時代に)植樹した松も枯れてしまったということですか!? いくらなんでもちょっと枯れすぎのような……。そして、逆に常陸宮殿下は凄いんだな、なんて思えてしまいます。
穏やかな場所
周りはこのように、豊かな自然に囲まれています。そして、池のほとりには後鳥羽院の御製が刻まれた石碑も。
……例によって例のごとく、逆光ですいません。
結局、後鳥羽院は隠岐に流されて十八年、京に還ることも叶わずにこの地で崩御したわけですが、さぞかし無念だったろう……と思いつつ、この「穏やかな場所」についてはどう思っていたのだろう、と気になりました。「住めば都」という言葉は、流人に対しては酷かも知れませんが、あまりに穏やかなこの佇まいを見てしまうと、これはこれで「アリ」なんじゃないかなぁ……などとも思えてしまいます。
では。車に戻りましょう……。
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