柄杓が置いてある所
拝殿に向かって右側ちょと手前には……えーと、あの、柄杓が置いてある所があります。これって、えーと……、「手水舎(ちょうずや・てみずや)」と言うんですね(あるいは「水盤舎」とも呼ぶのだとか)。
一般的な作法
右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。
(Wikipedia 日本語版「手水舎」より引用)
ふむふむ……。この手の作法はさっぱり解らないので、こういった解説には大変助けられます。ハウツー手水
そして、隠岐神社の手水舎ですが……おや? 右の方になにやら書いてありますね。
おおー。【手水の作法】とあります。Wikipedia に書かれているものよりもシンプルにまとめられていていいですね。皆さんもこれを頭にたたき込んで、一度試してみてください(笑)。
帰り道
さて。銅板の寄進も済んだことですので、駐車場へと戻りましょう。鳥居を裏側から見ると……
「昭和十四年三月一日建之」と刻んであります。昭和 14 年(1939 年)と言えば、既に日中戦争が泥沼化していた時期なので、その場では「なんでこんな時期に鳥居をリニューアルしたんだろう」と思ったのですが、リニューアルではなくてこの時期に神社そのものが創建されたということを後で知りました。
まぁ、真珠湾攻撃が昭和 16 年ですから、国力にはまだまだ余裕があった頃、とも言えるのかも知れませんね。
宮柊二先生隠岐歌碑
来たときには気づかなかったのですが、鳥居の左側(拝殿に向かっては右側)になにやら石碑がありました。これは何でしょう……?
どうやらこれは、歌人「宮 柊二」の顕彰碑?のようですね。Wikipedia の記載を見る限りでは隠岐の島とのつながりが良く見えないのですが、この碑には次のように記されています。
宮 柊二先生は昭和三十七年・三十九年に隠岐の島を訪れ、計百七十六首の大作を遺された。ここにこの筆蹟をうつして韻を後世に伝える。
うーむ、そうでしたか……。とりあえずお名前を覚えておくようにします(汗)。
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