2011年10月28日金曜日

隠岐ジオパークの旅 (41) 「永遠の樹齢 800 歳」

帰れ西郷へ!

旧・五箇村の代海岸で「代のフィーダー岩脈」を見学して車に戻ると、時間は 14:30 近くになっていました。いくら午後のスケジュールをこじ開けていただいたとは言え、いつまでも S さんをお引き留めするわけにもいきません。そして、さすがにそろそろお腹も空いてきました……。

ということで、ここからは一路、西郷に戻ることになりました。
……さすがにお腹が空きましたね、ということで、ショッピングセンター「ひまり」にピットイン。ここは「サンテラス」と同様のスーパーマーケットなのですが、飲み物と、そして昼食となる弁当をゲットしました(笑)。

そういえば、S さんお薦めのトロピカーナは美味でしたです、はい。

億岐家住宅

弁当を掻き込む間もなく、最後の目的地に向けて急ぎます。……到着しました。
「億岐家住宅」、そして「玉若酢命神社」(たまわかすみことじんじゃ)です。

まずは「億岐家住宅」です。
こちらも朝イチに見た「佐々木家住宅」と同様に、入口が何ヶ所もあるのが特徴……のようです。日常で使用する「通用門」のようなもの、家の「玄関」に相当するようなもの、そして貴賓専用の入口がそれぞれ別々に存在する、ということのようです。これは即ち、この家に住まう人自体が地域社会における重要人物だったことを表します。

ということで「億岐氏」について。

億岐氏(おきし)は、大国主命の後裔で、代々隠岐国造、隠岐国国司、玉若酢命神社宮司を務めた社家の家系。意岐、億岐、億伎、隠岐、とも書かれる。
(Wikipedia 日本語版「億岐氏」より引用)
ふむふむ。「国造」・「国司」でもあり、且つ「宮司」でもあると言いますから……おそれ入ります。

大国主命の後裔と伝えられ、十拶彦の代あたりから隠岐国造となり、国造制度廃止後は国司となって代々隠岐国を治めていた。国司となった頃から玉若酢命神社の宮司も務めるようになったと言われており、現在でも子孫が代々宮司を務めている。
(Wikipedia 日本語版「億岐氏」より引用)
ということなのだそうで、現在も代々宮司を務めるお家柄のようです。そして「大国主命の後裔」というのも要チェックです。

玉若酢命神社

では、「玉若酢命神社」を見に行きましょう……
拝殿・本殿を見る前に……うおぉっ!
これはまた、何やら凄そうな杉の木が。
この杉の巨木は「八百杉」(やおすぎ)と言うのだそうです。その名前からは「永遠の樹齢 800 歳」のようにも思えますが(←)、実際はどうかと言えば……

境内にある杉の巨木で、樹齢は1,000年とも2,000年以上ともいわれる。
(Wikipedia 日本語版「玉若酢命神社」より引用)
ひょえー(最近こればっかのような気が)。

若狭国からきた八百比丘尼が参拝の記念に植え、800年後の再訪を約束したことから八百杉と呼ばれるようになったと伝えられる。
(Wikipedia 日本語版「玉若酢命神社」より引用)
ほうほう。とことん「八百」に拘るわけですねぇ。

『隠岐古記集』には、同様の伝承を持つ杉が3本あったが、1本は天明年間(1781年 - 1788年)に大風で倒れ、もう1本も近年倒れたので現在は1本しか残っていないとの記述がある。
(Wikipedia 日本語版「玉若酢命神社」より引用)
むむっ。これはちょっと捨ておけないですね。なるほど、それで何本もの「つっかえ棒」で支えているということですか。ちょっと残念な気もしますが、これだけの老巨木ですからね。いつまでも大切にしていきたいものです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿