この「日本奥地紀行」(原題:Unbeaten Tracks in Japan)は、明治初期の蝦夷地(北海道)の習俗を詳らかに記していることで今日でも高く評価されていますが、北海道に渡るまでの各地の記載も微に入り細に亘ったもので、「庶民がこんな暮らしをしていた国が、僅か 26 年後には日本海海戦で大勝利を収めるのか」と考えると驚きを禁じ得ないのもまた事実です。
和訳考
……暑いからか、どうにも筆致が冴えないので(いつものこと)、ここからはいつもの通り、引用しまくりでお届けします。イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)はイギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記 "Unbeaten Tracks in Japan"(邦題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。
(Wikipedia 日本語版「イザベラ・バード」より引用)
邦題としては「日本奥地紀行」がもっとも人口に膾炙しているのですが、原題の Unbeaten Tracks in Japan を和訳して「日本の未踏路」としているものもありますね。どちらが良いかは好みの問題になるのですが、私は「日本奥地紀行」という邦題はなかなか優れた訳だと感じています。やや「不実な美女」なのかも知れませんが。有名な第一巻、無名の第二巻
あまり知られていないのですが、実は「日本奥地紀行」は二部作でした。1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳の日本人男性1名のみ)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。これらの体験を1880年 "Unbeaten Tracks in Japan" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。
(Wikipedia 日本語版「イザベラ・バード」より引用)
はい。そういうことでして、実はイザベラ・バード女史は関西にも足を運んでいて、その記録は "Unbeaten Tracks in Japan" の第2巻に収められているらしいのですが、生憎こちらはまだ入手できていません。実際、北日本を旅した記録だけが広く世に知られているのですが、その理由は初版は1880年に2巻本として出版されたが,その後版を重ね、関西旅行の記述その他を省略した1885年版が出版された。
(Wikipedia 日本語版「日本奥地紀行」より引用)
ということのようです。吉川英治の「三国志」が、諸葛孔明の死を以て終わってしまうのと同じような理由かも知れませんね。日本語版の扱いも似たようなもので、日本語訳としては、
- 1885年版を高梨健吉が翻訳したものがある。
- 1885年版で省略された部分の主なものが、楠家重敏他訳『バード 日本紀行』、細部が高畑美代子訳『イザベラ・バード 日本の未踏路 完全補遺』として出版された。
- 1880年版からの全訳は、時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行(上・下)』として2008年に出版された。
(Wikipedia 日本語版「日本奥地紀行」より引用)
上記のようになっています。あーでもない、こーでもない
というわけで、これから「日本奥地紀行」を読み進めていこうと思うのですが、手元にあるのは高梨健吉さんの訳による「日本奥地紀行」と、その補遺である「イザベラ・バード 日本の未踏路 完全補遺」の二冊ですので、これをベースにあーでもない、こーでもないと書いていこうと思います。› 続きを読む
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿