2011年6月18日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (57) 「著保内・尾札部・椴法華・恵山」

 

本日も、超マイナーな地名からあっと驚く珍説まで、バラエティゆたかにお送りします。

著保内(ちょぼない)

chep-ot-nay?
魚・多くいる・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
著保内は、旧・南茅部町の川汲(かっくみ)と尾札部(おさつべ)の間にある小地名で、国道 278 号バイパスの「著保内大橋」がかかっているところです。……おそろしくマイナーな地名を取り上げるようになりました、ハイ。

意味はわかりません(←)。よって、自分で考えてみるしか内……じゃなくて無いですね(ATOK にも困ったものですね(笑))。はい、何となくですが、chep-un-nay で「魚・そこにある・沢」ではないでしょうか。「ちぇぷん」が「ちょぼ」に転訛したんじゃないか、という想像です。

尾札部(おさつべ)

o-sat-pe
川尻・乾く・所
(典拠あり、類型あり)
ふつーに考えると o-sat-pe で「川尻・乾く・所」なのですが、さて実際の所はどうなのでしょう。「角川──」を見てみましょう。

古くは尾札辺とも書いた。渡島(おしま)地方東南部沿岸,南は毛無山の山麓に連なる。地名の由来は,アイヌ語ヲシャッペで水の不足なる所,川尻の乾燥する所を意味する(蝦夷地名考并里程記・北海道蝦夷語地名解)。当地を流れる尾札部川・八木川の河口が乾燥するほど水不足の状態になることに因んだものと思われる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.280-281 より引用)
うーん、ふつーに考えたままで良かったようです(←

椴法華(とどほっけ)

tu-pok-ke?
峰(岬)・下・の所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ここはかつては「椴法華村」という村でしたが、2004 年に函館市に編入されてしまいました。とても小さな村で、なんで今まで合併されなかったのか不思議な位なのですが……。

さてさて。今回は珍しく Wikipedia から引用してみましょうか。

村名の由来はアイヌ語の「トトポケ」(岬の陰の意)から。
(Wikipedia 日本語版「椴法華村」から引用)
ふむふむ。……ちょっと良くわかりませんね。では、続いて「角川──」から。

古くは椴法花とも書いた。渡島(おしま)半島地方東南部,亀田半島の最東端。南部に恵山がそびえる。地名はアイヌ語に由来すると思われ,「蝦夷地名考并里程記」に「ツウトボキなり,山の蔭と訳す。ツウとは出崎なる山の事,トはのと云ふ助語なり,ボキとは蔭と申事,此所崎の陰なるゆへ地名になすといふ」とあり,また「北海道蝦夷語地名解」には「トーポケ,岬陰,又岬下トモ。トハエトト同ジ,鼻即チ岬ノ義」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.967 より引用)
なるほど。Wikipedia の記述は「──地名解」をベースにしているようですね。ただ、続きもあって、

別に日持上人由来説もある。松浦武四郎「初航蝦夷日誌」には「土人の話しニ峠法華は近来の字ニ而唐法華と書よし。其ゆへは日持上人此処より入唐し玉ひしと。其故ニ此処ニ古跡有と云り。又ホッケと云魚は此村より取れ初而他国に無魚也。日持上人の加持を得て此地ニ而此魚ども成仏セしと云伝ふ」とあり,木村成明「鶏冠石の由来書」には「日持上人は永仁七年六月朔日を以て蝦夷人酋長ムシャッタなる者を案内者として同地イサンの北浜より唐土満刻をこころざして渡航する故に此地の名を唐渡法華と号し後椴法華と改書す」と記されている
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.967 より引用)
うっはー。これはまた凄い説ですえ。日持上人がやってきたおかげで日本で初めて「ホッケ」が取れるようになり、その日持上人がこの地から唐(中国)に渡航したから「唐渡ホッケ」ですか……(笑)。あ、まだ続きがありました。

が,現在ではアイヌ語由来説が定説化されている。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.967 より引用)
あはは(笑)。そりゃーそーですよねー。アイヌ語では tu-pok-ke で「峰(岬)・下・の所」となるのだとか。

恵山(えさん)

e-san-i?
頭・山から浜へ出る・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「恵山」は、渡島半島の南東端の地名で、「恵山岬」や、山としての「恵山」などがあります。このあたりはもともとは「恵山町」という町でしたが、2004 年に函館市に編入されてしまいました。

さて、その「恵山」ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」によれば、e-san-i で「頭・山から浜へ出る・所」といった所ではないかと。直訳すると意味不明ですが、岬の形容を「頭が浜に突き出ている」と見立てた、と考えれば良いようです(こういった比喩を多用した考え方には異論もあるようなのですが)。

このように、e-san-i は「山」のことではなく「岬」を意味する名前だったようで、「恵山岬」の近くの山(=「恵山」)は e-san-i-nupuri と呼ばれていたみたいです。たまたま san の語感が「山」に似ていたおかげで、「エサン」が「恵山岬」となり、「エサニヌプリ」が「恵山」になった(主従逆転?)というのもおかしな話ですね。

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