余市(よいち)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「余市」は、アイヌ語地名における音韻転倒の実例としてもっとも名高いものです。具体的には、もともと「イヨチ」だったのが「ヨイチ」になった、というものですね。と、ここまではまず間違い無さそうなのですが、問題は「イヨチ」の語源に諸説あることでして……。とりあえず、大別すると「温泉の多い所」説と「ヘビの多い所」説に二分されます。yu-ochi で「温泉・多くある所」、i-ochi で「アレ・多くいる所」という意味になります。「アレ」は「熊」だったり「蛇」だったり、口にするのを憚るものを指すことが多いようですが、ここでは「蛇」だとされています。
一説によると(ごめんなさい。どこかで読んだのですが、出典を思い出せません)、余市の地元民は「温泉のある所」だと主張し、余市の近くに住む非・地元民は「あれは『蛇の多い所』だよ」とうそぶいた、なんて話もあるみたいです。「大樹町」でもありましたが、あまりに原義が格好のつかないものだった場合は、つい別の説に走ってしまいますからね。そう考えると、「蛇」説のほうがもしかしたら正鵠を射ているのかも知れません。
ちなみに、ちょっと楽しくなる異説としてはこんなものもあるそうです。
「年表余市小史」によれば,イヨティーン(ヘビのように曲がりくねった大きな川のある所の意)に由来するとし,ユーカラにも「文化神のオイナカムイが棲んでいて,ここでアイヌの人々にいろいろな文化を教え,英雄ヨイチ彦の太刀が無数のヘビと化した」と歌われているという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1590 より引用)
高橋幸宏さんの顔を想像しながら読んでみると、より楽しめます(←古平(ふるびら)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「小平」や「赤平」など、北海道の地名は「平」を「びら」と読ませることが多いのですが、ここもその例に漏れず「ふるびら」と読みます。残念ながらその意味するところは明瞭ではないようで、hure-pira で「赤い・崖」という説や、hur-pira で「丘の・崖」とする説などがあるようです。また、異説として、上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には、「クルピラ」で「模様のある岩山」であると記されています。残念ながらちょっとアルファベットには落とせなかったのですが、「クルピラ」が kur-pira なのであれば、「影・崖」といった意味となります。
留意すべき点としては、上原熊次郎が蝦夷地を探検する以前の元禄期の資料にも「ふるびら」という文字があるというところです。嘗て「クルピラ」だったものが江戸時代には「フルビラ」になっていたと考えるべきか、それとも「クルピラ」は単なる誤解によるものと考えるべきか、……さてどちらでしょう。普通に考えると後者なのでしょうが、もしそうだとしたら、どうしてそのような誤解が生まれたのかを検証したいところです。
美国(びくに)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
なんだか安倍晋三さんが懐かしくなるような地名ですが……。現在では積丹町の東側に位置する集落ですが、もともとは美国郡美国町だったのだそうです。この地は元禄期の記録にも「びくに」と記されていたようで、その由来は判然としません。上原熊次郎は「ビイウニ」の略で「小石のある所」であるとしますが、えーと、pi-un-i であれば「小石・そこにある・所」となりますね。でもこれだと「ビイ」とはならないような気がするので、あるいは pipi-un-i あたりが正解かも知れません。
ただ、明治期の永田地名解では全く違う話になっていまして、曰く pok-un-i で「陰・そこにある・所」という説を記しています(正確には tanne-pok-uni で「長陰アル處」、ご丁寧に注釈として「松浦地圖『タンネビクニ』ニ誤ル」とあります)。さて、どっちが正解なんでしょうか。
婦美(ふみ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
積丹町の地名なんですが、hum-i で「音・させる」という意味かなぁ……と思ったのですが、「角川──」によると全然違うようでした。江戸期レブントマリの北側にフンベモエ(鯨湾の意)あるいはフンベトマリ(鯨泊の意)と呼ばれる船入澗があり,婦美の地名は,このフンベを略称したフミに由来するといわれている(積丹町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1301 より引用)
ふみ、そうでしたか(←)。いや、心の底ではちょっとひっかかるものもあるんですけどね。www.bojan.net
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