モエレ沼(もえれぬま)
(典拠あり、類型あり)
「モエレ沼公園」のある「モエレ沼」ですが、もともとは moyre-pet-to で「流れの遅い・川・沼」という意味なのだそうです。「川」と「沼」が並ぶのは何ともおかしな話ですが、もともと moyre-pet という川があって、それが沼化した、といった単純な話なのかも知れません。丘珠(おかだま)
(典拠あり、類型あり)
「モエレ沼」があっさりと片付いたのでちょっと安心したのですが、次にとんでもないのが出てきました……。まずは「角川──」(お約束の「略しすぎ」)を見てみましょう。石狩地方中部,石狩川支流伏籠(ふしこ)川中流域。地名は,アイヌ語のオㇰカイタㇺチャラパ(男が刀を落としたところの意)に由来し,かつてはオカタマと称したという(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.265 より引用)
はぁぁぁ。そんなに長い単語?を分解しろ、というのですね……。それにしても「オㇰカイタㇺチャラパ」が「オカタマ」になるというのは、まるで「阪東妻三郎」が「バンツマ」になるのと同じロジックですよね。なんで「阪妻」?という向きもあろうかと思いますが、ほら、存命人物は権利関係が色々と……(気にしすぎ)。で、その「オカタマ」を分解しないといけませんね。えーと……。
以前にも話題にしたことがあるのですが、道東の斜里山道のほうには nispa-ko-sikiru-usi という地名?があったそうです。これは「だんな・が・そこで・ひっくりかえった・所」ではないかと見られるのですが、okkay-tam-charpa も似たような故事?に由来する可能性がありそうです。
伏古(ふしこ)
(典拠あり、類型あり)
札樽道の IC の名前は「伏古 IC」ですが、このあたりを流れる川の名前は「伏籠川」のようですね。どちらも「ふしこ」であることには違いはありません。「伏古」のほうが字画も少ないので便利なのかも知れません。この「伏古」というのはなかなか上手い当て字でして、もともとは husko-pet で「古い・川」といった意味になります。由来については山田秀三さんの記述が簡潔かつ要点がまとまっていますので、引用させて頂きましょう。
札幌川(豊平川)は,もとは現在の豊平橋の辺から北流し,今の茨戸市街の東の処で旧石狩川に注いでいたが,後に洪水の時に河道が変わり,東側のツイシカリ川の川筋に流れ込んで東北流したのだという。遠山金四郎,村垣左太夫の西蝦夷日記(文化 3 年)によれば,大水でサッポロ川が切れて津石狩川に流れ込んだのは,その 4,5 年前だという。つまり寛政の末(1800 年)か,その後の享和の初めのことらしい。
それから元来の札幌川下流は急に小川となり,そこがフㇱコ・サッポロ(古い・札幌川),あるいは簡単にフㇱコ・ペッで呼ばれ,それに当て字されて伏籠川となった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.24 より引用)
ざっとまぁこんな訳でして、殊この husko-pet については、「伏古」という字がすごくしっくり来るような気がします。色内(いろない)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
色内は、小樽市の中心部にある小地名で、手宮の南側にあたるところ、です。「──ナイ」と言うくらいですからアイヌ語由来の地名だと思うのですが、その由来は意外とまとまっていないようです。こちらも「角川──」で見てみましょう。
古くはエロナイ・エルモナイ・エリモナイともいった。後志地方北東部,石狩湾沿岸。北側を色内川,南側を於古発川(妙見川)が東流している。地名の由来には,アイヌ語のエリモナイ(鼠沢の意)による説(西蝦夷日誌),イルオナイ(熊路の沢の意)による説(北海道蝦夷語地名解・小樽市史)などがある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.154 より引用)
「エリモナイ」だと erum-nay(中川裕先生の「アイヌ語千歳方言辞典」に依ると ermu-nay になるんですが、どっちが正しいのかな?)、「イルオナイ」だと i-ru-o-nay となりますね。山田秀三さんは i-ru-o-nay 説に一定の理解を示しながらも、「古くから伝わっている音と離れている」のが気になるらしく、enrum-nay(「岬・川」)という試案を出していました。なるほど、これだと確かに原音?には近そうですね。
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