一已(いちやん、いちゃん)
(典拠あり、類型あり)
まずは名うての難読地名から。現在では「いちやん」と読まれるようですが、もともとは「いちゃん」だったと考えられます。ichan で「鮭・鱒の産卵場」という意味でしょう。山田秀三さんの解釈も見てみましょう。今は深川市街東郊の小さな字名であるが,明治34年深川村から分村してできた一已村は納内(旭川市境)から多度志を含む大村であった。この辺のイチャン(ichan 鮭鱒の産卵場)の名を採って村名としたが,屯田兵を中心とする兵村なので威勢がよく,「一にして已む」という意味を含めて一已村としたのだという。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.90 より引用)
「已む」という言い回しは、最近では殆ど見かけない気もするのですが、「已むを得ず」の「已む」だと理解すれば良いようです。現代の日本語では「止む」で代用できそうですが……。「一已」という大地名も、その難読ぶりが災いしてか、今では深川の一地名に収まってしまっていますが、JR の「北一已」駅のおかげでマニアックな地名度……ではなくて知名度を誇るようですね。
秩父別(ちっぷべつ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
これも北海道ならではの「むりくり難読地名」の一つかもしれませんね。「ちっぷべつ」と読みます。永田地名解に依れば chi-kus-pet (チクㇱペッ)で「我ら・通行する・川」とされます。ただ、「チクㇱペッ」だと「ちっぷべつ」とは語感が少々異なるのが気になる所です。「北海道駅名の起源(昭和48年版)」には、次のように記されています。
アイヌ語の「チ・クㇱ・ペッ」(われらの越える川)から転かしたものである。もと「筑紫(ちくし)」といったが、昭和29年11月10日、村名に合わせて改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.101 より引用)
ということで、もともと「筑紫」という小地名と、「秩父別」という村名が併存していたとも読み取れます。この軽微な矛盾を山田秀三さんは次のような解釈で理解しようとされました。この川名のアイヌ語の原型ははっきりしない。今でも古い人は「ちくし」といい,永田地名解も chi-kush-pet と書いた。その形なら「我ら・通る・川」と読むべきであろう。また松浦図や再航石狩日誌(松浦氏手記本)ではチフクシベである。それだったのならチㇷ゚クㇱペ「chip-kush-pe 舟が・通る・もの(川)」あるいはチㇷ゚クㇱペッだったのであろう。要するにこの湿原の中を舟で交通した時代があったこの名が出たのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.81 より引用)
ひとつの可能性を示すものではありますが、個人的には検討の余地を残しているような気がします。妹背牛(もせうし)
(典拠あり、類型あり)
これまた……。一度覚えてしまえば忘れることのない地名だと思うのですが、初めて見る方にはハードルが高いかも知れませんね……。はい、これで「もせうし」と読みます。ちなみに栗沢町には「茂世丑」で「もせうし」という地名もあるみたいです。これも読めるようで読めないような。
さて、この「妹背牛」の解釈ですが、山田秀三さんは「北海道の地名」にて次のように記しています。
モセ・ウㇱ(mose-ush)には「いらくさ・群生する」という意と,「草刈りを・いつもする」という意があり,伝承でもないとどっちだったのか分からない。この妹背牛についいては永田地名解が「蕁麻(いらくさ)ある処」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.89 より引用)
ただ、手元の辞書などを引いても mose を「イラクサ」とするものは無く、「カヤ刈り」あるいは「刈り」とする訳が一般的みたいです。萱野さんの辞書には「モセウシ」を「カヤ刈り場」としているので、この線でいいのかも知れませんね。mose-us-i で「カヤ刈り・いつもする・所」でしょうか。ちなみに「角川──」(略しすぎ)には、次のような記述がありあした。
空知地方北部石狩川中流と雨竜川下流に挟まれた地域。地名はアイヌ語のモセウシ(イラ草の多いところの意)に由来する。当初は望畝有志と書いていたが,明治31年官設鉄道上川線(現函館本線)が開通し妹背牛駅が設置されたことにより,以後妹背牛と書く。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1517 より引用)
「望畝有志」対「妹背牛」。さぁどっちが読みやすいですか?(五十歩百歩じゃ?)www.bojan.net
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