2011年3月2日水曜日

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北海道・東北の旅 2010/夏 (68) 「神様の村」

 

「三航北国日誌」第 68 回です。本日は、「神様の村」の意図するところについてほんのちょっとだけ考えてみます。

旧神居古潭駅舎

旭川市の「神居古潭」にやってきました。対岸の駐車場からは「家のようなもの」が見えていましたが、実はこれが
かつての「神居古潭駅」の駅舎のようです。確かに、よーく見てみると、
「旧神居古潭駅舎」と書かれていますね。最初から「旧」を名乗るあたりがなかなか潔いです。こんな感じのラーメン屋の看板もありそうですが……。

そういえば、国鉄富内線の旧・富内駅舎も「赤・白・緑」のハンガリー国旗のような色合いだったのですが、この「旧神居古潭駅舎」も似たような色合いですね。これはどういうことなんでしょう。この手のカラーリングが北海道では標準的だったんでしょうか。それとも、こういったカラーリングが流行した時代があったのでしょうか。

セコム、してますか?

中に入って見よう……と思ったのですが、
セコム、してました(←)。仕方が無いので外から中を覗いてみたところ……。
思いの外、生活感が漂っています(←

神居古潭の文化財と伝説

意を決して(?)中に入って見ました。
中は大変綺麗な状態に保たれていました。やはり、先ほどの部屋にあった洗剤の効果でしょうか(←)。「神居古潭の文化財と伝説」として色々と書かれていますが……カメラに収めるのを忘れてしまいました(しまった!)。

旭川市指定文化財だったのでした

「旧神居古潭駅舎」についての説明もあります。
旭川市指定文化財」なのだそうです。今更ですが、この駅(跡)の来歴を。

神居古潭駅(かむいこたんえき)は、北海道旭川市神居古潭にあった日本国有鉄道函館本線の駅。1969年(昭和44年)9月30日、旭川・滝川間の電化・複線化に伴い、廃駅となった。
(Wikipedia 日本語版「神居古潭駅」より引用)
この地図で、ある程度ピンと来る方もいらっしゃるかも知れません。


もともとは、石狩川に沿って走るクネクネした線路だったものを放棄して、新たに複線断面のトンネルを掘削した……という話です。多少は距離を短縮する効果もあったと思いますが、かといって伊納駅のあたりではカーブも残っているので、短絡よりもむしろ落石や崖崩れ・地滑りなどの災害を未然に防ぐ(トンネルだと落石の被害は皆無、地滑りの被害もほとんどありません)ことが目的だった、と考えられます。

カムイとは何か?

そもそも「神居古潭」とは何か、という話ですが、これはアイヌ語の kamuy-kotan にそのまんま字を当てただけ、の筈です。kamuy は神楽の兄……ではなく、尼崎出身の F1 ドライバー……のことでもなく(←)、アイヌ語で「神様」のこと。kotan は「村」という意味ですから、「神居古潭」は「神様の村」といった意味になります。

ここで言う「神様の村」というのは、「地上の楽園」と言った意味ではなく、むしろ逆の意味だとされます。「神様が住まわれるような所なので、むやみやたらと近づくものでは無い」と言ったニュアンスが正解かも知れません。
国鉄が「神居古潭」の旧線を放棄して、トンネルで抜けることにしたというのも、「神居古潭」という地名の由来からすると、とても適切なことだったわけですね。

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