2011年2月21日月曜日

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北海道のアイヌ語地名 (35) 「右左府・占冠・ニニウ・金山」

 

本日も引き続き、ちょっぴりディープかも知れないアイヌ語地名の話題を続けます。伝統と信用のマンネリズム 98.8%(当社調べ)です。

右左府(うしゃっぷ)

u-sap?
互いに・流れ出る
(? = 典拠あり、類型未確認)
「あれ? そんな地名あったっけ」と言われそうですが、今回はまさかの「消滅地名」の話題です。はい、ここは現在では「日高町」という名前になっています。

さーて、その意味ですが、とりあえず山田秀三さんのご意見を……。

 日高町は沙流川の源流一帯の土地。前のころは右左府村と呼ばれていた。それが,日高村と恐ろしく大きな名に改められたのは昭和18年だった。当時はささやかだった右左府(今の日高町)市街地の東側にペンケ(上の)・ウシャㇷ゚,西側にパンケ(下の)・ウシャㇷ゚と,似た二つの川が並んで流れ下っている。ウシャㇷ゚はウ・シャㇷ゚(u-sap 互いに・流れ出る)の意か(萱野茂氏による)。シャㇷ゚はサㇷ゚と同じで,サン(浜の方に出る,流れ下る)の複数形。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.367 より引用)
ふむふむ。萱野さんの解だけを牽いているというのは、山田秀三さんにしては珍しいことです。普通は多くの史料にあたった上で、ご自身の考えるところを書かれているので、そうできなかったのは、比較検討に値する史料が欠如していたのかも知れません。

引用だけで終わってしまうのも寂しいので、とりあえず永田方正翁の「北海道蝦夷語地名解」を眺めていたところ、「Moso ush pe モソ ウㇱュ ペ」という項目が見つかりました(日高国 沙流郡)。意味として「蚋(ウジ)多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク」とあります。これは……!

永田翁のカナ表記にはいろいろと問題もあるので、ちょっと手直ししてみますと、mos-us-pe で「蝿・多くある・処」あたりでしょうか。アイヌも和人と同様に「言挙げ」を嫌う傾向があったようで、「熊」だの「ヘビ」だのを「アレ」呼ばわりすることが良くあったようです。もし、蚋(ブヨ)も蛆(ウジ)も蝿(ハエ)も決して清潔ではない印象があるので、口に出すのを憚ったとしたら。i-us-pe で「ユシュペ」となります。これが「ウシャップ」になった……というのはどうですかお客さん!

2014/6/26 追記
上記文中にある永田地名解の「Moso ush pe モソ ウㇱュ ペ」は、沙流川支流の額平川に注ぐ「モソシベツ川」のことである可能性が高いように思われます。従いまして、本稿の内容は根拠を失いましたので、一旦取り下げとさせてください。

占冠(しむかっぷ)

si-mukap
本流の・鵡川
(典拠あり、類型あり)
えー、ここについては何度も話題にしてきましたが、もともとは si-mukap で「本流の・鵡川」だと思います(2008/10/4 の記事2010/4/12 の記事もあわせてどうぞ!)。

ニニウ(ににう)

nini-u?
木々・ある
(? = 典拠あり、類型未確認)
ニニウ」は占冠村の中でも「秘境」との呼び声が高いところで、実際にとても美しいところだと聞くのですが……いつか機会があったら行ってみたいものです。

「角川──」に情報があったので、まずは引用してみましょう。

 ににう ニニウ <占冠村>
〔近代〕大正8年~現在の占冠(しむかっぷ)村の行政字名。もとは占冠村の一部。行政字としての正式な設置年代は不詳。地名の由来は,アイヌ語のニニウ(樹木の多い所の意)で,学校名としては新入,営林署関係では仁々宇と漢字を当て,仁丹生(殖民公報),丹生(占冠村史)とも書いた。江戸期の松浦武四郎「丁巳日誌」に「ニヽウ」が見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1108 より引用)
nini-u で「木々・ある」となり、転じて「木が多い」という意味でしょうか。見たところ「──所」という意味は見当たらないのですが、まぁ、いいか。厳密には -u というのも変かも知れません(辞書に見当たらない?)。nini-us の「ㇱ」の音が落ちた、と見るべきかもしれません。

金山(かなやま)

えー、お気づきの方も多いと思いますが、これはまさかの「非アイヌ語地名」です。「角川──」(略しすぎ)にも「地名は,砂金が豊富に採取されたことによる。」と記載されています。

もうちょいと詳しく記されている部分を引用します。ちなみに「同」とあるのは「明治」です。

同42~45年には空知川の支流トナシベツ川の砂金採取が盛んに行われたので,十梨別にかわり金山と称されるようになった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.94 より引用)
ということで、もともとは「トナシベツ」あるいは「十梨別」という地名だったようです。せっかくなので「トナシベツ」の意味ですが、tunas-pet で「早い・川」ということのようです。

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