チンギス・ハーンと義経は別人28号だった
史実では、奥州衣川で自害したとされている源義経は、実は蝦夷地(北海道)に逃げ延び、やがて大陸に渡って「チンギス・ハーン」となり、その後は滝川市で焼き肉店を開いてウッハウハ、というのが「源義経=チンギス・ハーン説」の骨子だったりします(一部潤色あり)。確かに義経と成吉思汗(チンギス・ハーン)の生年は近いこともあり、時系列で追ってもそれほどの矛盾は無いようですが、現在では後年の研究の結果、チンギス・ハーンのおおよその生年も父親の名前もはっきりと判っていることから、源義経=チンギス・ハーン説は科学的には完全に否定されている。
(Wikipedia 日本語版「義経=ジンギスカン説」より引用)
ということなのだそうです。そりゃま、そーですよねー。ついでにまた、モンゴル本土にも類似した伝説はない。
(Wikipedia 日本語版「義経=ジンギスカン説」より引用)
なのだそうで、「源義経=チンギス・ハーン説」は完膚無きまでに否定されたと見て良いかと思います。というわけで、ここは「義経は大陸には渡らなかった」と考えるべきなのですが、「義経は北海道にも渡らなかった」という証明は、まだ成されていません。まぁ、そもそもが「悪魔の証明」なので、どだい無理なんですけどね。(ん? もしかして「どだい無理」って大阪弁ですか?)
「菖蒲」は何と読む?
さて、「義経神社」を見て行きましょう。鳥居の右側には……花菖蒲が植えられています。この花菖蒲は
明治神宮から分けてもらったものなのだそうです。
参道をゆく
では、参道を進みましょう。生々しい切り株もあったりします。
参道の階段は、とても立派な石段です。
ずーっと階段が続くわけでもなく、途中で平坦な部分もあるので、呼吸器が弱い人間にとってはありがたいですね。
石段の記念碑? もあります。地元の工事業者の方が施工されたようですね、って当たり前か。
到着!
石段を登り切ると、本殿(かな?)が見えてきます。とても綺麗に整備されていますね。あまり北海道らしさを感じない風景です(笑)。
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