寒いですからね
というわけで、旧・国鉄富内線「富内駅」跡の話題を続けましょう。線路側から駅舎を見ると……
改札口と思しきところはガラス戸で仕切られていますが、想像するに、これは廃止されたから扉がつけられたのではなく、もともとこのような構造だったのでしょうね。
こうしておかないと「寒い」というのは当たり前の話ですが、北国ならではの構造、と言えるのかも知れません。
もちろん自動券売機などはありません
改札の横の扉の先は……駅務室でしょうか。残念ながら施錠されているので、中をじっくりと見ることは叶いませんでした。これまた懐かしい、鋳鉄製の郵便ポストの姿も見えますね。
別アングルから中を覗いてみました。
手前のガラスが反射してしまって見るに堪えない写真ですがご容赦を。よーく見ると、上の方に「乗車券箱」と書いてあります。出札掛の駅員さんは、ここから「硬券」(厚紙の切符)を取り出して販売していたわけです……。
ハンガリアン ラプソディー
正面(駅前)から見た富内駅です。色合いがハンガリーなのは、おそらく偶然です。「富内駅」という額は、ちょっと新しいもののように見えますね。廃止後に手直ししたような感じを受けます。
クビナガリュウとメロンとアスパラガス
富内線が廃止されたのは 1986 年 10 月 31 日のことでした。「JNR」のロゴが懐かしいですね。子供の頃、あれがどうしても「J」に見えなくて首を傾げていたものです。ちなみに国鉄そのものが分割民営化されたのが 1987 年 4 月 1 日ですから、富内線は民営化に備えたダイエットの犠牲になったと言えるのかも知れません。
こちらの看板には、旧・穂別町内の四駅のスタンプの柄が描かれています。スタンプの下にはイラスト入りの路線図が。
メロンとホワイトアスパラガスが描かれていますね。残炎ながらトマトの絵はありません。
イラストマップの右隣には「富内線の歴史」が。「仁湾」→「栄」、「杵臼」→「豊田」と改称されたというのは興味深いです。「富内」も、もともとは「辺富内」だったそうですね。由来は……今日はやめときましょう(←
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