長門有希の 100 冊
ちょっと長門さんに唆されたのもあって、森博嗣の「有限と微小のパン」を読破してみました。この本そのものは、実は 2009 年の 5 月に購入していたのですが、まっったく手をつけていませんでした。というのもですね……。
分厚いんですよ、尋常じゃなく。島田荘司の解説文を含めて 868 ページ、ちょっと手に取るのが憚られるのもご理解いただけるかな、なんて思ったりもします。
事実上ラノベです
ただ、実際に読み始めてみると意外と、いや、かなりすんなりと読めるものでして、おおよそ 8 時間もあれば読破できると思います。ジャンルは「ミステリー」になるのでしょうが、「本格(推理)」と言うよりは「ラノベ」に近い、というか事実上ラノベです(←「ラノベ(ライトノベル)」とは言え、ミステリーを名乗る?以上、作中の世界を詳らかに語ることは御法度なのですが、そうですね、裏表紙の説明文?を引用してみましょうか。
日本最大のソフトメーカが経営するテーマパークを訪れた西之園萌絵と友人・牧野洋子、反町愛。パークでは過去に「シードラゴンの事件」と呼ばれる死体消失事件があったという。萌絵たちを待ち受ける新たな事件、そして謎。核心に存在する、偉大な知性の正体は……。
S&Mシリーズの金字塔となる傑作長編。
(森博嗣「有限と微小のパン」講談社文庫 裏表紙より引用)
「傑作長編」なんて言葉が並びますが、実体は「ラノベ」です(しつこい)。もちろん人が殺されて警察沙汰になる物語なので、間違っても「ラブコメ」では無いわけですが……。「超人探偵もの」
ミステリーの世界では、シャーロック・ホームズなどに代表される「超人探偵もの」とも呼ぶべきジャンルのものがありますが、この「有限と微小のパン」も一種の「超人探偵もの」と言えるかも知れません。「フォトグラフィック・メモリー」という特殊能力を持ち、頭の回転が人並み外れて速い主人公と、その主人公すら畏怖する「偉大なる知性」が対峙する……という構図であれば割とありふれたもので、例えば「DEATH NOTE」における「キラ」と「L」にもこの構図を見て取ることができます。ところが、この「有限と──」の場合、「偉大なる知性」の存在が絶対的である一方で、主人公と同レベル(以上?)の知性の持ち主が、あと 2~3 人ほど出てくる、という点が特徴的かも知れません。ここでは何の断りもなく「知性」という表現を多用していますが、実際には「IQ」と言い換えた方がより正確かも知れません。主人公や登場人物の何人かは、半ば恣意的に「高 IQ 者に見えるように」描写されているようにすら思えます。
本格は死んだか?
そんなわけで(どんなだ)、「ミステリー」としての舞台装置は大変魅力的なものに仕上がっているのですが、そこで繰り広げられるストーリーがそれに相応しい精緻なものであるかと言われると、疑問は残ります。端的に言えば、せっかくの「舞台装置」を生かし切れていません。いわゆる「本格もの」の場合、謎を解く「鍵」が提示された時点で、すべての「奇妙な事象」が有機的に結合して「真実」を紡ぎ出す、というのがお決まりのパターンなわけで、そこに読後の清涼感を求める読者も少なくありません。そこでは「奇妙な事象」は「伏線」という属性であったことが明かされ、「伏線」は「鍵」によって溶解してフィナーレを迎える、という流れです。
掌上で読者が踊る
ところが、本作では最後に「謎」の解明は行われるものの、伏線の溶解もお世辞にもスマートなものとは言えません。むしろ「中途半端」とすら言えます。ミステリーとしては非常に「ブレ」であったり「ゆらぎ」があるものですが、どこまでが作者の筆力によるもので、どこからが作者の「意図」によるものなのかが見えないのがミステリアスです。読者として、踊らされているようにも感じます。一度手にとって……
ミステリーとしての出来はさておき(←)、「ラノベ」としての出来はとても素晴らしいものですので、機会があれば一度手にとって、ずっしりとした重さを体感していただければと思います(←)。あ、もちろん読むほうもお忘れ無く。‹ 前の記事
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