2010年10月25日月曜日

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北海道のアイヌ語地名 (19) 「天塩」

 

つい先日(10/21)のことなのですが、2010/8/23 の記事「天塩町のチューチュープリン」へのアクセスが殺到して、ほんの 2 時間ほどでカウンタが 800 近く跳ね上がったことがありました。あの時は「アクセス解析つけていて良かったなぁ」と思いましたね……。少なくとも、どの記事へのアクセスが殺到したのかは把握できたので……。

天塩(てしお)

tesi-un-i?
梁・ある・所
tes(i)-o-pet?
梁・多くある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「天塩」はその「チューチュープリン」を販売している「町の名前」ですが、もともとは「川の名前」であり「郡の名前」でもあり、更には「旧国名」でもあるので、こういった大きな地名に限って由来が良くわからなかったりします。さて、今回はどうでしょうか。

上原熊次郎曰く……

山田秀三さんの「北海道の地名」によると、「天塩」の由来は次のような内容だとのこと。

上原熊次郎地名考は「テシホ。夷語テセウなり。テシウニの略語にて梁の有ると訳す。此川伝へ処々に梁の懸けある故此名ある由」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.137 より引用)
tesi-u あるいは tesi-un-i である、ということですね。意味は「梁の・ある・所」と言ったところでしょうか。「梁」(やな)は

(やな)とは、河川の両岸より列状に杭や石などを敷設して水流を堰き止め、誘導されてきた魚類の流路をふさいで捕獲する漁具・仕掛けのことである。やな い。「」とも表記する。
(Wikipedia 日本語版「梁 (漁具)」より引用)
という意味です。北海道における「やな」は、遡上するサケを狙って設置されたもの、でしょうね。

松浦武四郎曰く……

「北海道の地名」からの引用を続けます。

松浦氏天塩日誌は「本名テシウシなるを何時よりかテシホを詰る也。テシは梁の事,ウシは有との意なり。此川底は平磐の地多く,其岩筋通りて梁柵を結ひし如く,故に号しと。又土人の言に,梁と言う物は,大古此川筋に石の立並べる処有を神達が見て始めし物とも言伝へたり」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.137 より引用)
松浦武四郎は、「天塩」の由来は tesi-usi に依る、としました。-un-i-usi かの違いはありますが、意味には大差ありません。

永田方正曰く……

山田秀三さんの文章が簡潔にして大変美しいので、もう少し続けて引用させてもらいます。

明治の永田地名解と昭和の北海道駅名の起源は,原名をテㇱ・オ・ペッ(梁・多い・川)とオで解説している。また雨竜川源流にはテセウ・ルペㇱペ(天塩・峠道沢)があり,テセウの形で呼ばれていたことを伝えている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.137 より引用)
永田方正「北海道蝦夷語地名解」では tes(i)-o-pet 説のようですね。本当に「梁」があったのか、それとも川底の岩の形が「梁」のようだったのか、という違いはあるにせよ、tesi が「梁」であることはどの説も同じであるようです。

山田秀三曰く……

最後のまとめも山田秀三さんの文章をお借りしましょう。

この川筋は木材流送の関係で何回も川浚いをしたとかで,今は殆ど岩が見えないが,上記のテッシは中流恩根内と美深の間の処で,水中を岩盤が横切っている。またその少し下,恩根内大橋の処のカマテシカ(平たい岩の梁の岸)の処でも同じである。こういった梁の姿の岩があった処から天塩の名がついたものらしい。古い大地名で,この程度まで見当がつくものは珍しいのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.137 より引用)
まったくその通りで、例えば道内最大の川である「石狩」に至っては、その意味するところが諸説まちまちだったりします。「天塩」の場合、その意味するところがほぼ明瞭な上、地名(川名)の由来となった岩の所在まで伝えられているというのは本当に珍しいことです。

地図だとこの辺だと思うのですが……さて、どうでしょうか?

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