2010年10月18日月曜日

北海道のアイヌ語地名 (15) 「歌登・枝幸・目梨泊」

書けるうちに書いてしまいましょー、ということで。

歌登(うたのぼり)

ota-nupuri
砂・山
(典拠あり、類型あり)
あの村上智彦さんの出身地として(ごく一部では)有名かと思います。以前、瀬棚町医療センターでのご活躍を(テレビで)拝見していて、確か新潟の医療施設に移られたと記憶していたのですが、いつの間にか夕張に移ってこられたのを知って仰天した記憶があります。

……歌登の話でした。語源はどうやら ota-nupuri(砂・山)のようなのですが、「砂の山」というものの多くは海岸にできるもので、あまり山中にできるものではありません。ところが旧・歌登町は海には面していませんでした。さて、これはどうしたことでしょう?

角川日本地名大辞典には、次のように記されています。

現在,歌登町は内陸に位置するが,本来,歌登の地名は北見幌別・特志別両川河口一帯の海岸部に付されたもので,明治・大正期には海岸部をも含めて歌登村と称されていた。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.185 より引用)
というわけで、もともとは「歌登」という地名が、今よりも広域を指していた、というオチでした。

歌登の語源アイヌ語のオタヌプリは,砂の山の意で,北見幌別川河口近くにある2か所の砦(チャシ)が人為的な砂の盛土であり,これによるものと伝える(歌登町史・枝幸町史)。しかし,これは後世に和人が作った伝説であって,大正5年12月末まで,ここに日本名で砂盛,アイヌ名ではオタヌプリと称した高さ15尺の砂丘があり,大正5年12月の大暴風で消失した(枝幸町史)。この砂丘が本当のオタヌプリ(砂の山)である(歌登町名考/月刊道北昭和59年7月号)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.185 より引用)

ちょっと引用が長すぎる気配ですが、とてもいい文章だったものでつい……。「風烈布」「志美宇丹」もお気に入りのアイヌ語地名ですが、「歌登」もこれらに負けず劣らず素敵な名前だと思いますし、お気に入りだったりします。

枝幸(えさし)

e-sa-us-i?
頭が・浜に・ついている・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
これまた論争になりそうな地名が出てきました。うぅむ。

「枝幸」の由来ですが、かの永田方正翁は「Esashi エサシ 昆布」として、脚注には「沖ニ岩アリテ昆布(サシ)生ズ故ニ名ク○枝幸(郡村)ト稱ス」と記しました(「稱」は「称」の異体字)。ただ、永田説への反対意見は根強く、山田秀三さんも次のように記しています。

 知里博士は永田説に強く反対で,北部では昆布をサシとはいうがエサシとはいわないといっておられた。この枝幸,檜山の江差,室蘭のエシャシはどれも同じように突きだした岬の処の名である。エサシ(esashi 岬)←(e-sa-ush-i 頭が・浜に・ついている・処)と解すべきようである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.172 より引用)

目梨泊(めなしどまり)

menas-tomari
東風・泊地
(典拠あり、類型あり)
アイヌ語を囓り始めた頃、初めて意味を理解できた記念すべき地名……だったかも知れません。menasi は「東」という意味なんですが、「東」という意味であればむしろ koy-kachup-ka のほうがメジャーだ……なんてことは流石に知るよしもなかったわけですが。

menasi は「東」という意味の上に「東風」というニュアンスも持ち合わせていたとされます。ここからは山田秀三さんの解説が完璧なので、そのまま引用させていただきましょう。

メナㇱ・トマリ「menash-tomari 東風(の時)の・泊地」の意。東側に細長い岩岬が長く出ていて今目梨泊岬という。それが防波堤のようになっているので,東風の荒れる時には正に有難い停泊地になったことであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.171 より引用)
「細長い岩岬」と言うのは、地図で言うこの部分のこと、です。

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