和寒(わっさむ)
(? = 典拠あり、類型未確認)
at-sam(オヒョウの・傍)が転じて wat-sam になった、という説が有力なようです。「オヒョウ」は楡の木の一種ですが、樹皮から紡いだ糸で「アツシ織り」ができるため珍重されたようです。よってその自生地は地名として残す価値のある情報で、他にも「厚床」「厚岸」などの例があります。剣淵(けんぶち)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「日本最北の料金所」として鋭意売出し中の「士別剣淵 IC」のあるところです。意味は楽勝かな?と思ったのですが……。永田方正「北海道蝦夷語地名解」p.418 には「Keneni pet ケネニ ペッ 赤楊川」とあります。ちょっと「ケンプチ」からは違いがあるように思えますね。「地名解」の解釈については、山田秀三さんも「ふつうの用語ではこのニは余計である」と鋭く指摘しています。さらに「プチ」(=ブチ)は puchi(河口)ではないかとして、kene-pet-puchi(はんのき・川の・河口)の「pet」が省略されて kene-puchi になったのでは、との説を開陳されていました。とても説得力があるように感じます。
つまり、「ケネ川の河口」が「剣淵」になったという仮説なのですが、確かに kene-pet という地名は道内各所で目にします。標津の方では「計根別」という字が当てられているケースもあるようですね。ちなみに剣淵の北隣の街も「シベツ」ですが、標津ではなくて士別のほうです。
士別(しべつ)
(典拠あり、類型あり)
si-pet で、「本流」あるいは「親川」という意味です。ああ、すっきり(笑)。天塩川は、士別駅の北西のあたりで支流の剣淵川と合流しています。そのため、支流の剣淵川と区別するために si-pet(本流)と呼んでいた、ということでしょう。
幌加内(ほろかない)
(典拠あり、類型あり)
ソバの作付面積・収穫高ともに日本一を誇る町……なのだそうです。意味は簡単明瞭、horka-nay(後戻りする・川)です。もっとも、後戻りすると言っても「銭塘江」のように逆流するわけではなく、流路の向きが 180 度近く変わる、というだけの話です。ですので、これは道内各所に見られる地名で、例えば国鉄士幌線の「糠平」と「十勝三股」の間の駅も「幌加」でした。朱鞠内(しゅまりない)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
日本最大の広さを誇る人造湖「朱鞠内湖」があるところで、日本でもトップクラスの極寒の地、でもあります。永田方正「北海道蝦夷語地名解」では「Shumari nai シュマリ ナイ 狐川」とあります(p.60)。ただ、永田翁は実際に雨竜川筋には足を運ばずに「地名解」を著したらしく、他の地域と比べると、その信頼度は決して高くないようです。
「シュマリナイ」の意味については山田秀三さんもかなり気合いを入れて追っていたように思えるのですが、松浦武四郎の文献を山田さんが調べたところでは、suma-usi-pet や suma-san-nay または suma-un-pet といった記録があるとのことで、元々の語義は sumari(狐)ではなく suma(石)に由来するのではないか、と考えられるとのこと。
suma-ri-nay(石・高い・川)あたりではないか、との説を記されていますが、suma-ri という語順が果たしてアリなのか、個人的には少々疑問が残ります。
例えば、「利尻」は ri-sir ですし、「力昼」も ri-kipir かも知れないので、ri は前に来るほうが多いような印象があるのです。
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