雄冬岬のあたりの話
さて、今日はだいたいこのあたりの話題です。雄冬岬のあたりの国道 231 号線が全線開通したのは 1981 年 10 月のことだそうですが、なんとその僅か 1 ヶ月後に「雄冬岬トンネル」が崩落してしまい、1984 年 5 月まで通行止めが続いたのだとか。北海道の海岸線をめぐる道路の中でも、(将来的にも道路が開通しそうにない)知床半島を別格とすると、かなり遅くまで道路ができなかった区間、と言えそうです。
何故「ニシン橋」?
このように、崖そして海、という険しい地形なのですが、橋の名前が「ニシン橋」というのが、なんだかお茶目ですね。
りっぱな覆道もあります。
「浜益」と「増毛」
これは浜益のあたり、あるいは川下のあたりだと思います。今は「石狩市浜益」ですが、かつての「浜益村」ですね。日高地方の「静内」という地名は、もともとは現在の場所とは別の場所の地名だったのが、地名ごと引っ越して今に至る、という話があります(もともとの「静内」は、今は「元静内」と呼ばれているのだとか)。
この「浜益」も似たようなもので、もともとここが「マシケ」と呼ばれる地名だったのだとか。ところが「マシケ」の機能?がそっくりそのまま現在の「増毛」にお引っ越ししてしまったとかで、新たな「マシケ」と区別するために、このあたりは「浜マシケ」と呼ばれるようになったのだとか。「浜マシケ」がやがて「ハママス(浜益)」になった……という話のようです。
送毛トンネル
基本的には海沿いを行く国道 231 号ですが、中には地勢上諦めざるを得ないところもあったのか、僅かながら峠道もあります。これは「送毛トンネル」みたいですね。「おくりげ」と読むみたいです。割と珍しい地名ではないかと……。
久々にエセ HD 化してみます(←
濃昼……?
さぁて、旧・浜益村の「濃昼」にやってきました。さて、「濃昼」と書いて何と読むのでしょうか!?
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