2010年8月10日火曜日

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春の道央・道北の旅 2010 (75) 「樺太名物 結氷せる大泊港驛に堂々入港の稚泊連絡船」

 

稚内公園の「開基百年記念塔・北方記念館」の話題を続けます。

樺太(サハリン)と稚内

1 階の展示内容もほどほどに、2 階に歩を進めましょう。
「樺太(サハリン)と稚内」というサブタイトルは、なかなか魅力的です。

現役時代の写真です

まず最初に出てきたのが、やはりこちら。
「北防波堤ドーム」の現役時代?の写真です。駅名標が見えることから、ドーム内はプラットホームだったことがわかります。

もう 1 枚ありました。
跨線橋の先が稚泊連絡船乗り場だったのでしょう。ちなみに現在の写真を見てみますと、
柱の下の方に出っ張りが見えますが、当時の写真を見ると、ちょうど出っ張りの部分がプラットホーム面だったようです。駅のホームではなくなった時点で道路と同じ高さまで掘り下げた、ということでしょうか?

空撮も

こちらの写真は……
「昭和46年 旧稚内桟橋駅」とキャプションがあります。「稚内桟橋駅」は昭和 40 年代まで存在していたのかな? と一瞬勘違いしてしまいましたが、「稚内桟橋駅」は、やはり稚泊航路の消滅(昭和 20 年 8 月)とともに姿を消していたようです。

「北海道 及 樺太航路」

こちらは、日本郵船の航路図のようですね。「北海道 及 樺太航路」とあります。
オホーツク海沿岸の寄港地の多さが目につきますね。

樺太名物……

最後に……これ、遭難したタイタニック号の写真のようにも見えてしまいますが、いえいえどうして、「氷結した大泊港に入港した『稚泊連絡船』」の写真です。
「樺太名物 結氷せる大泊港驛に堂々入港の稚泊連絡船」なのだそうです。

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