2010年7月18日日曜日

春の道央・道北の旅 2010 (58) 「第二仁宇布川橋梁……だそうです」

日本一を見に行く

というわけで、「日本一の赤字線」が走っていたというところは一体どんなところなのか、これから見に行きましょう。

踏切すら稀少

まずは踏切がありました……が、これは「宗谷本線」の踏切です。
ただ、Wikipedia の「美幸線」の項には、こんな記述もありました。

警報機のある踏切は宗谷本線と共用のものを除けば1箇所(道道)のみで、人跡のまれな地帯をゆく路線であった。
(Wikipedia 日本語版「美幸線」より引用)
てことで、踏切すら稀少だったようです。

向かうはオストシケイン(←

道道 49 号線は、ちょうど名寄バイパスの終点・美深 IC と接続しています。
程なく道路は森の中に吸い込まれていきます。気分はホッケンハイムです(←)。
さてさて……。美幸線の遺構が見えてきました。車を止めましょう。
鉄則通り(?)、見通しの良いストレートに車を止めます。

第二仁宇布川橋梁……だそうです

はい、見えてきました。
旧・士幌線の橋梁とは違い、コンクリート製のいかにも近代的な橋梁がそのまま残されています。手前の橋脚は、どうやら「簡易軌道」(美深町営軌道)のもの、みたいですね。

私も知らなかったのですが、美深から仁宇布までは、美幸線ができる前にも「簡易軌道」という、軽便鉄道のようなもの?があったそうです。
それにしても、川の水量の多さには驚かされます。この時期(5 月上旬)は雪融け水が多いのでしょうね。もしかしたら、一年で一番水の多い時期かも?

川上の仁宇布川

ご紹介が遅れましたが、この川、「ペンケ仁宇布川」と言うのだそうです。

ワンポイントアイヌ語講座(←
「ペンケ」は「パンケ」と対になって使われることが多いのですが、「ペンケ」が「川上の──」、「パンケ」が「川下の──」という意味です。「なぜなら」……はイタリア語で「ペルケ」(perche) と言いますが、もちろん何の関係もありません。

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