2010年7月17日土曜日

春の道央・道北の旅 2010 (57) 「川中さん……とは無関係です(←」

思案橋から……美深橋へ……♪

美深峠を越え、ものすごく長い下り坂を北に進みます。美深の街の手前の「美深橋」で天塩川を渡ります。
「天塩川」と聞くと、「ああ、北海道の中でも北の方に来たのだな」と感慨もひとしおですが……まぁ、それはさておき。

Because, you come to me !

ここからは、旧・国鉄美幸線のルートに沿って、仁宇布に向かいます。

美幸線(びこうせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡美深町の宗谷本線美深駅を起点とし、同町内の仁宇布(にうぷ)駅に至る路線であった。計画では、美深より仁宇布を経てオホーツク海沿岸枝幸町の興浜北線北見枝幸駅に至る予定で、仁宇布から枝幸方にかけて一部工事が行われたものの、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)に全線廃止された。
(Wikipedia 日本語版「美幸線」より引用)
もしかしたらご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、「日本一の赤字線」という「キャッチコピー」で、一時は大々的に名をはせたことのある路線でした。

既開業区間自体の輸送量はきわめて少なく、同じ北海道の深名線や白糠線、そして九州の添田線などとともに、国鉄全路線中最悪レベルの赤字線であった。1974年度(昭和49年度)の営業係数は3,859、すなわち100円の収入を得るのに3,859円の費用を要する状態であった。
(Wikipedia 日本語版「美幸線」より引用)
というわけで、名実ともに「日本一の赤字線」を名乗るに相応しい状態だったわけですが、

日本一の赤字線」を逆手に取って美深町の町長長谷部秀見が美幸線の宣伝活動を東京銀座で行ったこともあるが、経営環境に改善は見られなかった。
(Wikipedia 日本語版「美幸線」より引用)
ほんまに名乗ってどないすんねん」(←)。いや、実際に町長が銀座に繰り出してトップセールスを断行したというのは、当時はそれなりに話題になっていた……と聞きました(何故に伝聞形?)。

Because you speak to me !

さて、現地の写真に戻りましょうか。
なにやら看板がありますが、トリミングしてみましょうか……。
松山湿原というところがあるのですね。「トロッコ王国」のほうは、かつての線路跡を使ったアトラクションだと聞いています。

トロッコ王国美深(トロッコおうこくびふか)は、北海道中川郡美深町にある観光施設、およびそれを運営しているNPO法人である。
日本一の赤字路線として1985年に全線廃止された日本国有鉄道(国鉄)の美幸線(びこうせん)の廃線跡の一部約5km及び敷地104,700m²を利用し、観光の活性化を目的としてエンジン付きトロッコを運行している。
(Wikipedia 日本語版「トロッコ王国美深」より引用)
この話は以前にも聞いたことがあったのですが、「あんな山の中で客が来るのだろうか」と少々心配していました。今回、現地を訪れることができたのですが、それなりにお客さんは入っているようだったので、まずは一安心、というところでしょうか。

トロッコにはJRが線路の点検など保線作業用に実際に使用していた軌道自動自転車が転用されている。推定最高速度は約30km/h位だが、走行中の足元が見えるのとジョイント音のためかなりのスピード感とスリルがあり、また鉄道車両を自分で運転している感覚が楽しめる。沿線は主に白樺の林となっており、時折清流が現れ、牧歌的で美しい北海道の自然を満喫できる。
(Wikipedia 日本語版「トロッコ王国美深」より引用)
へぇぇ。こうやって書かれているのを見ると、ちょっと興味が湧いてきますね。

特別豪雪地帯であるため、冬季の運行は休止される。夏休みシーズンや大型連休時には長い待ち時間ができる程の人々が訪れ、賑わいを見せている。
(Wikipedia 日本語版「トロッコ王国美深」より引用)
うんうん、商売繁盛でなによりです。

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