2010年6月30日水曜日

春の道央・道北の旅 2010 (41) 「北海道ならではのアレやコレ」

北海道ならではのアレ

音更(おとふけ)は、帯広市のベッドタウンと言えるのか、中心部?には「いかにも北海道!」と言いたくなるような店が軒を連ねています。

まずはこちら、「勝毎」は「十勝毎日新聞」のことですが、それよりも左側の……
ご存じ、強烈な看板が目印の(?)「モダ石油」です。
もちろん、「モダ」と並び称される(?)「オカモト セルフ」も負けてはいません。ピントがボケていても、気にしてはいけません(←
「モダ」「オカモト セルフ」そして「ホクレン」のガソリンスタンドは、道内ではほんとにあちこちで見かけます。これらの名前を見ると「ああ、北海道に来たんだなぁ」と思ってしまいます。

引き続き、北海道ならではのコレ

こちらは北海道限定ではなかった筈ですが、同じく「北海道だなぁ」と思わせるのがこちら。
そう、「ツルハドラッグ」なのですが……。ただ、音更ではこんな看板も見かけました。
これ、もしかしたら「旧デザイン」か何かでしょうか?(情報求む!)

すいませんでした(←

あとは「Victoria」と「セイコーマート」があれば完璧なのにな、と思いながら、国道 241 号を北に向かいます。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月29日火曜日

春の道央・道北の旅 2010 (40) 「緊張の Day 3、スタート!」

早起きは……

Day 2 の晩は、ラーメンにありつけたことがよっぽど嬉しかったのか(←)、トリップメーターの写真を撮るのを忘れていたので、翌朝、出発前に撮影してみました。
家を出てから 613 km 走行しましたよ、ということですね。注目は時間でして、私にしては異様に早起きです。いつもは 9 時前にチェックアウトすることは稀なんですよね……。

Day 3 のルートはこちら

まぁ、この日に限って早起きしたのも一応理由があってですね……。そう、Day 3 は帯広から稚内まで、こんなルートを走破する予定を立てていたのでした。
距離は約 441 km で、一般道を平均 50 km/h で走破したとしても「8 時間 33 分」かかる、との予想を立ててくれました。しかも、この日は何を思ったか夕食付きプランでホテルを予約していて、遅くとも 20 時には到着しておかないとまずい状況なのでした。

更に言うなら、「道の駅さるふつ」の「かの歴史的建造物」も再度見ておきたいと思ったのですね。常識的に考えて、できれば 16:30 までには猿払に辿り着いておきたい……という計算もありました。

5 月の北海道を舐めてましたごめんなさい

そして……、私の車はノーマルタイヤだったのですが、これからアタックしようという「三国峠」には、なんと数日前まで路面に雪が積もっていた、という……。ええ、5 月の北海道を舐めてました。どうもすいませんでした(誰に謝っている?)。

なので、最悪の場合、足寄・遠軽経由の大迂回?という可能性まで考えていました。そうなっては 12 時間以上の所要時間も覚悟しないといけません。てなわけで、私にしては珍しく早起きして出発したのでした。

前フリがくどいのは……珍しいことではなく、いつものことですね。

おまけ

ホテル日航ノースランド帯広の前に佇む私の車、です。
しかし、今回は実は別のホテルに泊まっていたのでした(←

緊張の Day 3、スタート!

さてさて、7:54 頃に Day 3 をスタート、帯広市内を北に向けて走ります。
直前に調べた情報では、どうやら三国峠には積雪は無い模様。このまま最短ルートを北に向けて突っ走ります。

十勝大橋を抜けると、音更町です。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月28日月曜日

春の道央・道北の旅 2010 (39) 「Day 2 は山岡家で終了」

中川家の里

広尾にやってきました。ここは、かつての国鉄広尾線の終点だった街です。
もう少し活気のある街かと思っていたのですが、少々意外でした。賑わいという意味では、静内 > 浦河 > 広尾、といった風に感じました。

十勝と言えば……

さて、あっさりと広尾の街を通り抜け、国道 336 号を北に向かいます。
18 時を過ぎ、日も暮れてきました。
国道 236 号と合流し、一路、帯広を目指します。更別には「十勝スピードウェイ」があったりしますが、あっさりとスルーです(←

いや、後になって「そういやサーキットがあったんだよな」気がついたというのが真相です。

愛国から幸福まで

中札内 IC からは、「帯広・広尾自動車道」に入ります。
というわけで、かの有名な?「幸福駅・跡」もスルーしちゃいました。今は「幸福交通公園」という名前の公園になっているようです。

この日、最後のミッション

帯広の市中心部に入ったのは 18 時半を過ぎたあたり。
2 年前、帯広にやってきたときは到着が遅くなり、19 時半を過ぎた頃に、駅の近くで夕食の取れるところを探したところ、軒並み営業を終了していた、という悲しい思い出が頭をよぎります。なので、この日はチェックインの前にとにかく夕食を! という悲壮な決意を胸に、市内を車でウロウロしたのでした。

山岡家

で、結局辿り着いたのがこちら。
はい、山岡家のラーメンです。山岡家は、北海道に限ったわけではなく、東日本には結構フランチャイズ出店しているようですが、三重県以西にはお店が無いようで、なので山岡家に入ったのは今回が初めてでした。麺が太くてしっかりしていたのが印象的でした。

Day 2 終了!

Day 2 の走行距離は 393.0 km。殆どが一般道だったとは言え、400 km を下回るのは(私の場合)比較的短距離だったと言えます。ちなみに、フルタンクにしてからは 618.4 km を走破しましたが、まだガソリンは 1/3 近く残っているようです。もう少し行けそうですね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月27日日曜日

春の道央・道北の旅 2010 (38) 「百人浜と黄金道路、その由来は」

緑豊かな百人浜、その由来は

襟裳岬から帯広に向けて、北に向かいます。右に見えるのはどうやらバス停のようで、「BUS 灯台口」と書いてあります。
やがて、左右に緑が見えてくるようになってきました。「百人浜」と呼ばれるところだと思うのですが、そう、これがかの緑化事業の成果です。
ちなみにこの「百人浜」、今はオートキャンプ場などがあるようですが、なんでも江戸時代に近海で海難事故(座礁?)があり、飢えや寒さなどで 100 人以上が亡くなったことに由来する……のだとか。合掌……。

黄金道路、その由来は

国道 336 号線に再合流し、帯広に向かいます。山と海の間の少しの隙間に旧道が通っていますが、それをショートカットする形でトンネルが掘られています。とても快適な道路です。
えりもから広尾までの区間は「黄金道路」という別名があるようです。しかしながら、アフリカやオーストラリアの「ゴールド・コースト」とは似ても似つかない雰囲気なのに、何故にこんな名前がついたのか、少々疑問に思っていました。

黄金道路(えりも町庶野~広尾町音調津。黄金を敷き詰められるほど、建設に莫大な費用を投じ、断崖を切り開く難工事の末に開通したことが名称の由来。悪天候時には度々通行止となる。落石も多く覆道がつくられている
(Wikipedia 日本語版「国道336号」より引用)
あはははは……。誰が名付けたか知りませんが、ナイスな(死語)ネーミング、ということでしょうか。

別のトンネルを、今度はちと遠目から撮影した写真なのですが、んー、確かにこの地形では、大半をトンネルで抜けるしか無いのも頷けます。そしてやはり、交通量はそれほど多くはありません(浦河方面と比べても、当然ながら明らかに少ないです)。コストパフォーマンスは良くないですね。

目黒から広尾までは約 21 km

目黒(えりも町)に到着しました。広尾まで約 21 km です。意外と離れています(←)。地名が被っているような気がするのは、もちろん偶然でしょう。

黄金道路はリニューアル中

トンネルを掘らなくても良い地形でも、雪崩や落石を防ぐため、このような覆道になっているところが何ヶ所もあります。
写真を見てお気づきかも知れませんが、1970 年代に開通した「黄金道路」は少しずつ老朽化も進んでいるようで、あちこちで改善工事が進んでいます。この覆道もぴっかぴかなので、最近完成したものかも知れません。

調律師の聖地です(ウソ

えりも町と広尾町の境界にやってきました。ここから先が広尾町音調津(おしらべつ)です。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月26日土曜日

春の道央・道北の旅 2010 (37) 「襟裳岬に地上の星を見た(←」

風が強くて木が生えてない

襟裳岬に行ってみて驚いたことがいくつかあるのですが、「木が無い!」というのもその一つでした。てっきり風が強すぎるからだと思っていたのですが……。

沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかり、濃霧が発生しやすいためである。また強風が吹きやすいことでも知られる。
(Wikipedia 日本語版「襟裳岬」より引用)
あ、なるほど! そういえば単なる偏西風とか山風と考えるのは無理があるよなぁ、と思ったわけですが、これなら納得です。この自然のエネルギーを有効活用しない手は無いと思うのですが、見たところ風車などは存在しないようでした。景観を損ねる、ということなのでしょうか。

襟裳岬に地上の星を見た(←

木が生えていない理由についても、次のような記載がありました。

緑化事業
襟裳岬は江戸時代後半から海の岩礁に生えるコンブを求めて、人々の移住が始まった。明治になると開拓農民も加わり、人々は強風と寒さに耐えながら、暖をとるなど生きるために森の木を切り続けた。明治中期には紙の材料として広葉樹がつぎつぎに切り倒され、ついに砂漠となった。
(Wikipedia 日本語版「襟裳岬」より引用)
「人々は強風と寒さに耐えながら、暖をとるなど生きるために森の木を切り続けた」というあたり、結構な名文に思えます(もちろん嫌味ではないです)。結果はさておき、先人の労苦が偲ばれます。

そのため林野庁は1953年以降治山事業を開始。まず、草本の種子を蒔き、風を防ぐため海藻で覆うことにより最終的に草本緑化を完了。その後、防風垣で覆った上でクロマツを中心とした植林が行われ、1999年度末で、荒廃地面積のほぼ89%にあたる170ヘクタールの木本緑化を終了した。
(Wikipedia 日本語版「襟裳岬」より引用)
1953 年の時点で、このような「自然再生」の試みが行われていたことに驚いてしまいますね。なかなか壮大なプロジェクトだったように思えるわけですが、

緑化の経緯は、NHKの番組プロジェクトXで取り上げられている
(Wikipedia 日本語版「襟裳岬」より引用)
あははは(笑)。ちなみに 2001/3/6 に放送された「えりも岬に春を呼べ」の回のようです。

えりも岬国有林緑化事業

襟裳岬の駐車場にも、この緑化事業を紹介した看板が設置されていました。

そんなわけで

さて、そんな襟裳岬を後にして、この日の宿泊地・帯広に向かいます。旅は~まだ~終わら~ない~♪(←

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月25日金曜日

春の道央・道北の旅 2010 (36) 「襟裳岬 突端」

先っぽから更にその先の突端へ

というわけで、襟裳岬の先っぽから更にその先の突端まで歩いてみましょう、という話です(紛らわしいったらありゃしない)。

「襟裳岬 風の館」の展望台から岬の突端までは、万里の長城と見紛うような(←)歩道が整備されています。
もっとも、歩道の柵の外が急峻な崖になっているのはここも同じ。
ということで、こんな看板も立てられています。思いっきり傾いているのは風のせいか、それとも立て付けが悪いだけなのか……。

下りの階段が続きます。

頭の上半分に見えませんか?

右側を見てみると、先ほどの(昨日の記事参照)展望台があった崖の姿形がよく見えます。

……どことなく、横から見た、頭の上半分(おでこのあたり?)に見えませんか?
「アイヌ語の森(仮)」ではないのでマニアックな話題は避けますが、「襟裳」はアイヌ語の en-rum が語源ではないか、と言われています。en-rum は「突き出ている・頭」といったような意味になります。

……こういった話を「面白い!」と感じる人は、少数派なのでしょうか(笑)。

突端に到達!

さて、ようやく、ホントの襟裳岬の先っぽ?が見えてきました。
はい、今度こそ、間違い無いです!

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月24日木曜日

春の道央・道北の旅 2010 (35) 「襟裳岬の先っぽに行ってきました」

襟裳岬の先っぽに行ってきました

というわけで、「やや普通の記事」に戻ります(どんなだ)。

えーと、5 月の襟裳岬は外気温が摂氏 8 度で、しかも烈風吹きまくりで体温が奪われてえらい目にあった、という話の続きです(長いな)。

突端……ではなくビューポイント

寒さに震えながら、いつもの 60% 程度の歩幅(当社調べ)でちまちまと歩いているうちに、数分で「襟裳岬」の看板があるところにやってきました。
眼前には沢山の岩礁?が見えます。ここが襟裳岬の突端かな? と一瞬思ったのですが、ここはどうやら単なるビューポイントのようで、まだ先に進めそうな感じです。

入場料をケチったと言われたら、その通りなんですけど……

ふと左の方を見てみると、今度は人工的な展望室のようなものが見えます。
こちらはどうやら、「襟裳岬 風の館」の展望室のようです。……どうやら入場料が必要らしく、今回は華麗にスルーパス(←)しました。
仮に「ここまで来るのに 10 万円」だとすれば、相対的にはそれほどの出費では無い筈なんですけどね……。どうにも観光地の「場所代」という考え方が好きになれないもので。

なので、萱野さんの「資料館」の \400- は安いものだと思うんですけどね。あれは場所代ではないのは明らかですから。

ホントの襟裳岬の先っぽはもうちょい先

展望室の屋上は、これまた展望台のようになっています。
そして、「ホントの襟裳岬の突端」は、まだもうちょっと先のようです。
せっかくなので、見に行きましょう。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月23日水曜日

北海道のアイヌ語地名(特別編) 「平取町のアイヌ語地名特集」

北海道の旅 2010/春 Day 2」に出てき……てないのが殆どですが(汗)、ええい、今夜は「平取町のアイヌ語地名特集」ですっ!

二風谷」(にぶたに)の意味するところが詳らかではなくなっていて、萱野茂さんは「プ」を省いた ni-tai 説を唱えていたのですが、そういえば、古くから二風谷に住んでいたアイヌの人たちが苗字を名乗ることになった時に、多くが「二谷」(にたに)姓を名乗ったのだそうです。

こうなると二谷英明の出身地が気になってきますが、残念ながら?京都府舞鶴市なのだそうです。

萱野茂さんの講座テキストに、平取の他の集落に住んでいたアイヌがどんな姓を名乗ったかが記されていますので、ちょいと紹介しておきます。

「ピラカ」→「平賀」

分かりやすいですね。そのまんまです。ちなみに pira-ka は「崖の・上」という意味だそうです。

「紫雲古津」→「鍋沢」

「しうんこつ」と読みます。sum-un-kot で「西に・ある・窪み」という意味だとされますが、永田方正翁の地名解には shu-un-kot とあります。shusu の誤りなのですが、「鍋」という意味で、そこから「鍋沢」なのだとか。

「去場」→「鳩沢」

「さるば」と読みます。sar-pa で「湿地の・頭(先端)」という意味になります。「鳩沢」の由来はさっぱりわかりません……。

「荷菜」→「平目」

「にな」と読みます。nina だと思うのですが、意味は「ヒラメ」なのだとか。つまり、そのまんま。

「ピパウシ」→「貝沢」

pipa-usi は「貝が・ある処」、従ってそのまま「貝沢」としたようです。道内には他に「美馬牛」という地名もありますが、これも pipa-usi から来ている筈です。

「ペナコリ」→「川上」

pena-ko-ri を逐語訳すると「上のほう・それ・高い」となるそうで、山田秀三さんは「上流・に向かって・高い」と読み下していました。なるほど、「川上」を名乗るのも理解できます。

それにしても、「ペナコリ」という地名も趣があっていい響きですね。

「貫気別」→「黒川」

今は「ぬきべつ」と読むそうですが、もともとは nupki-pet で「濁り川」という意味だったとか。そこから「黒川」ということですね。

「荷負」→「木村」

読みはそのまま「におい」です。ni-o-i で「流木が・ごちゃごちゃある・処」と読めるのだとか。ni からの連想で「木」でしょうか。

「長知内」→「日川」

「おさちない」と読みますが、もともとは o-sat-nai、すなわち「オサッナイ」だったようです。東北地方にも多く見られる「長内」「小山内」も o-sat-nai ではないか、と考えられます。意味は「川尻が・乾く・川」。「乾く」→「お日様」で「日川」なのでしょう。

「幌毛志」→「長野」

「ほろけし」と読みますが、古くは poro-kes-oma-p(ポロケㇱオマㇷ゚)だったのだそうです。「ポロ・ケㇱ・オマ・ㇷ゚」を逐語訳すると「大きい・尻のほうに・存在する・もの(川)」となります。

山田秀三さんは、「ポロ」は「幌去」(ポロサㇽ)が下略されたのではないか、との説を開陳されていました。そうすると「幌去・のはずれに・ある・川」という意味になります。

「長野」の意味ですが、萱野さんの説では「あの辺りは野っ原が広がっているから」なのだとか。案外、こういったシンプルな由来が正解なのかも知れませんね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月22日火曜日

北海道のアイヌ語地名 (2) 「厚真・穂別・鵡川・平取・二風谷」

北海道の旅 2010/春 Day 2」に出てきた「アイヌ語地名」のおさらいを続けます(メモも兼ねて……)。

厚真(あつま)

at-oma-p?
おひょう(楡)・ある・処
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
早来(はやきた)から南東にちょいと 5~6 km ほど進むと厚真の町に辿り着きます。個人的には永田方正氏の書いたとおり at-oma-p で「おひょう(楡)・ある・処」かなぁ、と思うのですが、上原熊次郎や松浦武四郎といった先人は at-ma(モモンガ・泳ぐ)説を記しているようです。

おひょう」の樹皮から紡いだ糸で折られるのが「アツシ織」です。よりアイヌ語の発音に近い表記にすると「アットゥシat-tus となります。「おひょうの・毛皮」といった意味でしょうか。

アットゥシは普段着として重宝されたほか、江戸時代には東北地方などにも大量に流通したと言われます。交易品としてのアットゥシは外貨獲得の手段ともなったわけで、それ故に原材料となる「おひょう」の自生地を知ることは重要だったのでしょう。at- で始まる地名は道内のあちこちに散見されます。果たしてこの厚真は……どうでしょうか。「おひょう」か、それとも「モモンガ」か?

穂別(ほべつ)

po-pet?
小さな・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
……実は、この「北海道のアイヌ語地名」ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」(草風館)をネタ元として使わせてもらっています。引用では無いので、ネタ元として明記はしていないのですが……。で、「穂別」(むかわ町)なんですが、何と……「北海道の地名」に記載がありません(!)。少なくとも合併前は「穂別町」という町だったわけで、まさか記載が無いとは思ってもいなかったのですが……。

永田方正氏の地名解では po-pet で「小川」としています。穂別川は鵡川の支流ですから、「ミニ鵡川」と意訳しても良いのかも知れません。

鵡川(むかわ)

muk-ap?
つるにんじん・群生する処
mukka?
塞がれる
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
6/8 の記事「シリを挟む意味を考えてみる」をご覧ください。muk-ap (つるにんじんが群生する処)説と mukka (塞がれる)説が有力なようです。

平取(びらとり)

pira-utur
崖の・間
(典拠あり、類型あり)
pira-utur で「崖の・間」という意味です。いやー、悩む余地が無いというのは素晴らしい(笑)。ちなみに、pirautur もアイヌ語地名の常連さんです。「豊平川」とか「平岸」といった地名もそうですし、知床への玄関口・斜里町「ウトロ(宇登呂)」も utur です。

二風谷(にぶたに)

ni-tai?
木・林
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
萱野茂二風谷アイヌ資料館」や「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」が存在する有名なところですが、意外や意外、その意味は良くわからないのだそうです。山田秀三さんは nip-ta-i で「柄を・作った・処」か? としましたが、地元の萱野茂さんに至っては ni-tai で「森林」としてしまっています。「プ」あるいは「ㇷ゚」を完全に無視した形ですが、知里真志保先生がこれを知ったら何とおっしゃるのでしょうか。

アイヌ語地名の大家・山田秀三さんと、沙流アイヌの大家・萱野茂さんが、「平取の主なアイヌ語地名」を論じた展示が「沙流川歴史館」にありました。完全に見解が一致しているのは「平取」をはじめ半分くらいで、見解が食い違っているものも少なくありません。かなり興味深いものです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月21日月曜日

北海道のアイヌ語地名 (1) 「千歳・由仁・早来」

というわけで、「北海道の旅 2010/春 Day 2」の途中ですが、ここまでに出てきたアイヌ語地名のおさらいなどを……。

千歳(ちとせ)

「アイヌ語地名のおさらい」などと書いてしまいながら、いきなり和名から入るというのもアレなのですが、この「千歳」は、有名な「瑞祥地名」です。「千歳川」の旧名は「シコッ」で、意味は「大きな沢」なのだとか。「シコツ」は「死骨」に通じるということで忌み嫌われたらしく、何とも目出度い「千歳」という名前に変えられたのだそうです。

察しの良い方はお気づきでしょうが、「千歳川」の水源が「支笏湖」です。川の名前としては葬り去られたにも拘わらず、湖の名前としては残されたあたりに、多少の良心を感じるところです。

由仁(ゆに)

yu-un-i?
温泉・ある・ところ
i-un-i?
アレ・いる・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
永田方正氏の「北海道蝦夷語地名解」によると、yu-un-i で「温泉・ある・処」なのだとか。山田秀三さんが調査したところでは、確かに町内の数カ所で湯が湧いていたとのことで、整合性は取れています。

ただ、別説として、i-un-i「それの・いる・所」という解釈もあるようです。i(それ)というのは口に出すのもはばかられる物を対象に使われる言葉で、「熊」や「蛇」を「それ」呼ばわりするのだそうです。この場合は「蛇」ではないかと考えられます。

ヤリキレナイ川

5/10 の記事「半身不随でヤリキレナイ川!」にて、i-arkeray-nai(ヤルケレナイ)説を考えてみたのですが、「その半身が不随の川」と訳すのは、改めて考えてみると文法的におかしい気もします……。

早来(はやきた)

sak-ru?
夏・道
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「ああ、元は『サㇰルー』だったんだな」と独り合点してしまう地名です。sak-ru は道内あちこちに点在している地名で、多くは「サックル」(「咲来」など)という音で今に残っています。「夏・道」という意味です。

ちなみに、「冬・道」は mata-ru となります。「道には夏も冬も無いではないか」とつい考えてしまうのですが、これは冬になると雪で閉ざされるから……という話だけでは無く(!)、冬になると川が氷結したり、谷が雪で埋まったりするために、逆に、冬だけ近道ができるようなケースもあったようです。「冬場は使える道」が「マタ・ルー」になったのだ、と考えられます。

「早来」の話に戻しますが、一般的には、sak-ru ではなく sak-rupespe 説が採られているようです(意味は「夏・越える沢道」)。ただ、早来の周辺には「ルペㇱペ」と呼ぶべき「峠道」が見当たらない気がするので、少々個人的には理解に苦しんでいます。普通に sak-ru でいいような気がするのですが……。

なお、全くの別解として、「室蘭本線が思ったよりも早く開通したから『早来』(はやきた)」という説もあるそうです。ネタとしては面白いのですが、果たして(日本語として)ここまで不自然な組み合わせで瑞祥地名を考えるかと言うと、ちょっとどーかなー、と思ってしまいます。

ただ、国鉄白糠線(1983 年廃止)の終着駅は「二股」集落に設けられましたが、さらに延伸する願いを込めて「北進」という駅名にされたこともありました。少なくとも「瑞祥駅名」はアリだ、という実例ですね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月20日日曜日

春の道央・道北の旅 2010 (34) 「体温を奪われる」

烈風吹きすさむ……

襟裳岬にやってきました。さて、いざ車から出ようと思うと……そう、烈風が吹きすさんでいました。いままでは厚すぎて着る気も起こらなかった「冬の服」を着る機会が、ついにやってきました。

まずは、土産物屋さんの写真です。同じような作りの店が、隣にもう一軒あったかと記憶しています。

体温を奪われる

さて、買い物などを済ませてから、岬の突端を目指します。「風が強いので注意してください」と書いてある、ということは、この程度の風も日常茶飯事ということかも知れません。
この写真からは、風の強さを窺わせるものはありませんが、強いて言うなら、木が一本も生えていないところがそうかも知れません。ちなみに 5 月の 16 時頃で外気温は約 8 度でしたが、なにしろ風が強烈なので、生半可な格好では体温を奪われます。なるほど、「体温を奪われる」というのはこういうことなんだな……と実感した次第です。

落ちたら○○!!(←

襟裳岬の西海岸?を見たところです。結構な高台になっていることがお判りいただけると思います。
後ろを振り返ってみたところです。右の方にみえるのが、車を止めた駐車場ですね。かなり急峻な崖になっています。海岸段丘と言えそうですね。
ふたたび海の写真です。海はそれほど荒れていない筈ですが、それでもそれなりに波しぶきが見えます。

襟裳岬灯台

灯台の姿が見えてきました。先へ急ぎましょう。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2010年6月19日土曜日

春の道央・道北の旅 2010 (33) 「襟裳岬へ!」

雪が見えます

えー、これは昨日に掲載した写真なのですが、
遠景をトリミングすると、こうなります。
「えりも町」まで 32 km……というのはさておき、そう、雪です! 北海道の中では温暖な印象がある日高地方でも、5 月になっても頂には雪が残っています。残念ながら、山の名前はわかりませんが……。ピンネシリ、あたりでしょうか。

この日 2 つ目のトンネルが見えてきました。右に見える「奇岩」は「ローソク岩」と言うのだそうです。

浦河と様似は全く別の町

様似にやってきました。苫小牧から海沿いに走ってきた JR 日高本線は、ここで終点です。終点が浦河ではなく様似だというのもピンと来なかったのですが、実際に来てみれば、「浦河と様似は全く別の町」ということが良くわかりました。

いや、「浦河都市圏」といったものがあって、様似はそれに含まれるのか、と思ったこともあったわけで。
奥の方に見えるのは「アポイ岳」でしょうか?

襟裳岬へ!

様似から 30 分ほどで「えりも町」です。国道 336 号線は「追分峠」経由でショートカットしますが、襟裳岬を目指す私は歌別で右折して、道道 34 号線に入ります。
面白かったのが、4~5 台前の車が比較的ゆっくり走行していたせいで、5~6 台で連なって走行する羽目になっていたのですが(カーブが多く、意外と追い越しは困難だったのですね)、一台も「追分峠」には向かわず、全台右折して襟裳岬に向かったことでした。そっか、さすがはゴールデンウィークですね。みんな観光目的でドライブしていたようです。

到着!

平取からおよそ 2 時間半、襟裳岬の駐車場に到着です。
太平洋を背にたたずむ 406 ……なんですが、実はこの時、大変なことになっていたのでした。
どう大変だったかと言いますと……明日にしましょう(←

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International