2010年6月12日土曜日

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春の道央・道北の旅 2010 (28) 「ド・キ・ド・キさせるよー♪」

 

えー、タイトルに深い意味はありません(←

展示品あれこれ

沙流川歴史館」には、もちろんスタンプだけではなく、それっぽい(どんなだ)展示も常設されています。
字が潰れてしまって読めないですが、上が「続縄文時代の土器」、下が「擦文時代の土器」です。時間軸で捉えてみると、「続縄文」のほうが昔で、「擦文」のほうが比較的新しいもの、となります。

擦文時代とは

で、ここで無知丸出し宣言をしてしまいますと、「縄文時代」ならぬ「擦文時代」というものがあったこと自体、実はつい最近まで知りませんでした。

擦文時代
擦文時代(さつもんじだい)とは、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて北海道を中心とする地域で擦文文化が栄えた時期である。本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする。後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。
(Wikipedia 日本語版「擦文時代」より引用)
ということらしく……。なるほど、「北海道を中心とする地域」に存在したものだから、あまり馴染みがなくても仕方が無い……のかもしれません(自己弁護)。

擦文式土器と須恵器の関係

さて、「縄文」ならぬ「擦文」の由来ですが、

時代と分布
擦文式土器の使用の始まりは6世紀後葉から7世紀はじめ(飛鳥時代に相当)にあり、ここから擦文時代が始まる。前代の続縄文時代には、土器に縄目の模様が付けられたが、擦文時代には表面に刷毛目が付けられた。これは土器の表面を整えるため木のへらで擦ってつけたものと考えられており、これが擦文の名の由来である。この土器の表面調整技法は同時期の本州の土師器にも使用されており、この点にも土師器からの強い影響が窺える。
(Wikipedia 日本語版「擦文時代」より引用)
なのだそうです。「ハジキ」、じゃなくて「土師器」とか「須恵器」といったものは、随分と昔のもののように感じられるわけですが、

土師器
土師器(はじき)とは、弥生式土器の流れを汲み、古墳時代~奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけに取って代わられるまで生産された素焼きの土器である。須恵器と同じ時代に並行して作られたが、実用品としてみた場合、土師器のほうが品質的に下であった。埴輪も一種の土師器である。
(Wikipedia 日本語版「土師器」より引用)
意外なことに?、平安時代でも生産されていたのだそうです。坂上田村麻呂が「蝦夷征伐」に乗り出していた頃までは、バリバリ現役だったということになりますね。

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