2010年6月10日木曜日

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春の道央・道北の旅 2010 (26) 「記念碑をさがせ!」

 

見逃せない記念碑の話

さてさて。「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」を退出したところ、こんな案内板を見つけました。
それにしても、我ながら凄まじいアングルの写真です(被写体に近寄りすぎで、しかも左手前が切れてしまっている)。手が滑ったでは済まされないですね、これじゃ。

しかぁし、この案内板は、すぐ目の前に「見逃せないもの」があることを示唆しています。ちょいとトリミングしてみましょう。
松浦武四郎記念碑」と「金成マツ記念碑」がある、と言うのです。

道産子の中の道産子

さて、「松浦武四郎」さんとはどんな方でしょうか。

松浦 武四郎(まつうら たけしろう、1818年3月12日(文化15年2月6日) - 1888年2月10日)は江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家である。雅号は「北海道人(ほっかい・どうじん)」。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。
(Wikipedia 日本語版「松浦武四郎」より引用)
北海道という名前の生みの親であり、しかも雅号が「北海道人」と言いますから、道産子の中の道産子と言えるでしょう。

経歴
伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)の郷士・松浦桂介の四男。山本亡羊に本草学を学んだ。
(Wikipedia 日本語版「松浦武四郎」より引用)
ただ、その割には三重県の松阪出身だったりします。ま、良くある話です(←

知里幸恵さんの伯母に当たります

そして、金成マツ刀自はどんな方だったかと言いますと……。

金成 マツ(かんなり まつ、1875年11月10日 - 1961年4月6日 )は北海道幌別郡オカシペッ(現:登別市千歳町)出身のユーカラの伝承者。正しい和名は金成 广知(まち)。
(Wikipedia 日本語版「金成マツ」より引用)
はい、"yukar" の伝承者として名高い方です。"yukar" は日本語では「ユーカラ」と書くことが多いのですが、実際には「ユカㇽ」あるいは「ユカㇻ」と発音するのがより正確なのだそうです。

記念碑をさがせ!

そんなわけで、この業界(どの業界?)では高名なお二方の記念碑がある、というのですが……
周りを見渡してみても、こんな感じで記念碑らしきものは見当たらないのですが、
なんと! こんなサイズの記念碑?が見つかりました。
同様に、金成マツ刀自の記念碑も見つかったのですが、
これじゃあ、まるで「ウォーリーをさがせ」のようです(←

「← 沙流川歴史館」の話題は……明日にしましょうか。

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