さて何でしょう
さて、これは何でしょう。「二風谷」(にぶたに)の由来が写真とあわせて記されています。
●二風谷 にぶたに
★ニプタイ。ニ=立木とか薪、タイ=森とか林、ニプタイがニタイ、二風谷になったのであろう。その昔、うっそうたる密林であったそうです。(萱野茂)
とありますが、これ、実は……。
椅子だったりします。「二風谷」を尻に敷け、ということでしょうか(←
他の椅子にも、それぞれ違う地名の由来が写真とともに書かれていました。何とも腰掛けるのに尻込みする(←)椅子ばかりです。
「やち」ってわかります?
えーっと、「谷地ぜんまい」という言葉がちと気になったので撮影してみました。「谷地」(やち)という言葉なのですが、関東一円ではそれなりにメジャーな言葉だと聞きました。関西ではあまり聞くことが無い気がするのですが、そんなものなんでしょうか?(誰に聞いている?)これまた山田秀三さんによると、「やち」と「やと」「やつ」「や」は、基本的には同一の言葉だった可能性があるそうです。「雑司ヶ谷」や「保土ヶ谷」のような感じで「──ヶ谷戸」とか「──ヶ谷津」という地名も関東一円に分布しているのだとか。
日本海の終点は間宮海峡
日本(本州)沈没の図……ではありません。はい、南北が逆になった地図ですね。といってももちろんオーストラリア製の地図ではありません。「北海道」そして「樺太」「千島列島」の地図ですが、伊能図ほどのクオリティは無いとは言え、それなりに正確な形を掴めているように思えます。タタール(間宮)海峡(樺太と沿海州の間の海峡)が描かれていますから、間宮林蔵の北方探検の後で作成された地図……なんでしょうね。
タタール(間宮)海峡は、今も冬には氷結するのでしょうか。だとすれば、徒歩での横断も可能なわけで、交易路として、あるいは文化の交流路として、それなりの往来が古来より続いていたと見るのが自然でしょう。「縄文人」はどこからやってきたのか、「蝦夷」との関係はどうなのか、アリューシャンやアラスカとの人的交流は存在したのか、色々と考えさせられます。いや、別にどーでもいいと言えばそれまでなんですけど……。
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