2010年6月8日火曜日

春の道央・道北の旅 2010 (24) 「シリを挟む意味を考えてみる」

シシㇼムカの謎、再び

えーっと、沙流川の雅名(と山田秀三さんは書いていました)「シシㇼムカ」の話、でした。意味として「ほんとうに河口のあたりがふさがってしまう川」と書かれていますが、「河口のあたりがふさがってしまう川」というのは、実はお隣の「鵡川」の地名解、とされています。

「ムカ」=「鵡川」

鵡川」は、ししゃもで有名なあの「鵡川」で、これもアイヌ語由来の地名らしいのですが、その意味は諸説が乱立する状態のようです。muk-ap(つるにんじんが群生する処)説と mukka(塞がれる)説が有力でしょうか。「ムカッ」または「ムッカ」と発音されることになります。

mukka ではなく mu-kat(塞がった・状態)という解釈も成り立つような気もするのですが、いかがでしょうか。

シシㇼムカ(沙流川)の意味として書かれている「ほんとうに河口のあたりがふさがってしまう川」というのは、si-sir-mukka という解釈から来ているように思えます。si-sir-mukka を逐語訳?すると、「本当の」「(大地・山・断崖)の」「塞がれる」(川)といったところでしょうか。これだと何だか意味が良くわかりません。

ただ、「沙流川は『だからシシㇼムカ』、鵡川は『だからモ・ムカ』(あるいは『ポン・ムカ』)なのだ」というアイヌの古老の証言?も上原熊次郎によって残されているのだとか。「なんでも擬人化」はアイヌのお家芸ですが、平行して流れる大河の「鵡川」と「沙流川」を夫婦に見立てていた、なんてところでしょうか。

上原熊次郎は、江戸時代に「蝦夷通詞」として活躍した人物です。「蝦夷通詞」とは、すなわち「アイヌ語通訳」という意味になります。

シリを挟む意味を考えてみる

んー、ただ(← またか)そうやって考えてみると、「シ」はともかく「シㇼ」が挟まる意味が判らなくなったりもします。夫婦に見立てるのであれば「シ・ムカ」(本流のムカ)「モ・ムカ」(小さなムカ)でいいような……。

想像を逞しくすれば、「ムカ」はもともと「シㇼムカ」が正式名称で、年月を経るうちに「ムカ」と略すのが一般的になったか、それとも「鵡川」と比べて「沙流川」には決定的に優位な属性?があって、それが「シㇼ」という美称?として付加されたか、そんな所かなぁ、と思います。いずれにせよ何の物証もない与太話でしかありませんが。

「シ・ムカ」と言えば……

ちなみに、鵡川の上流(源流に近いとも)には「占冠」という地名があります。「しむかっぷ」と読むのですが、これは si-muk-ap あるいは si-mukka-pet で、「鵡川の本流」という意味だと思うのですね(2008/10/4 の記事もご覧ください)。これは山田秀三さんの説を踏襲しているのですが、意外なことに多数派では無いようで、Wikipedia なんかも「静かで平和な川の上流」説が掲載されたままです。

これは誤訳か、そうでないにしてもあまりに意訳が過ぎると思うので、もうちょっと改善の余地があるのではないかと常日頃から思っています。いや、いい加減 Wikipedia にアカウントを作って自分で修正すればいいんですけどね。わかっちゃいるんですけど……(←

やってしまいました……

ああっ、またやっちゃいましたね、アイヌ語専従記事。てことでこの記事は「アイヌ語の森」送りとなります(←

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