2010年4月12日月曜日

山田秀三さんの「占冠」=「鵡川の本流」説

もの凄い本「北海道の地名」

趣味はツンドラ……じゃなくて「積ん読」、というのも随分と痛い趣味なのですが、昨晩、久々に山田秀三先生の「北海道の地名」を手に取り、一気に 100 ページほど読み進めました。ちなみにこの本、地名辞典形式なのですが、本文が 500 ページにして索引が 89 ページという、ある意味もの凄い本です。
内容自体はもの凄く興味を惹かれるものなんですが、何しろ 600 ページ近いハードカバーなんで……少々重たいんですね(←)。横になって読み続けるには腕が痛くて……(←)。しかし、昨晩は珍しくというか、半ば意地になりながら読み進めたのでした。あと 40 ページで本文は完読、というところになります。

山田秀三さんについて

ま、「私の読書録」になってしまってもアレですので、軽く山田秀三先生について。

山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年 - 1992年7月28日)はアイヌ語地名研究家である。北海道曹達株式会社の経営者でもあった。東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究した。
(Wikipedia 日本語版「山田秀三」より引用)
山田秀三さんは「先生」との尊称を奉るに相応しい業績を残された方だ、と思うのですが、実はプロの学者さんではなく、内地(東京)出身の一実業家だったと言うのですから畏れ入ります。

人物
戦前はエリート官僚として東條英機首相とも交友し、戦後はアイヌ語地名研究家として金田一京助知里真志保久保寺逸彦と交友関係を持ち、知里真志保に「私の(アイヌ語研究の)弟子であり(現地調査の)師匠である」と言わしめた。
(Wikipedia 日本語版「山田秀三」より引用)
というわけで、あの異才・知里真志保をして「わが弟子であり師匠である」と言わしめた人物でした。山田のほうが十歳年上で、知里真志保からすると大学(東京帝国大学)の先輩に当たりますが、それがむしろ良いほうに影響したか、山田との交友は終生変わることは無かったようです。

「北海道の地名」には、「知里博士によると──」という言い回しが散見されるかと思いきや、「知里さんは──」という親しげな表現も見られます。知里真志保は 1961 年に 52 歳の若さでこの世を去りましたが、ちょうど山田は還暦を迎えた頃で、「実業家」の看板を下ろしてさぁこれから、と思っていたでしょうから、さぞかし無念だったことと思います。

「占冠」=「鵡川の本流」

山田秀三の地名解は、後発ということもあり、また、知里真志保という天才に触発されながらも先人の成果をきちんと評価していることもあり、大変優れたもののように思います。たとえば「占冠」については、

占冠 しむかっぷ
 鵡川源流一帯の村名。勇払郡の中なのであるが,山一歩越えた富良野の金山が近いので富良野村役場の所管であった。その後独立した占冠村であるが,今でも上川支庁管内である。占冠の意味については,従来「シユムカプで,川岸にやちだもの多いのを指す」,「シモカプで,甚だ静かで平和な上流の場所」等の解が書かれたが,アイヌ語地名の形としてはどうも考えられない。地名の通常の形であれば,双珠別川を分かった処から上の本流がシ・ムカ(sih-mukap 本流の・鵡川→鵡川源流)である。その音に占冠と当て字をしたのではなかろうか。なお今の占冠市街は支流パンケシュルの川口の処である。昔だったらその支流名で呼ばれた土地であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.373-374 より引用)※ 強調は引用者に依る

と、実に鋭く「従来の解」への批判を行っていました(「従来の解」のどちらかは永田方正の「北海道蝦夷語地名解」ではないかとも思うのですが、確認できず)。

ちなみに、この「占冠」の解釈ですが、2008/10/4 の記事で触れたものです。当時は山田秀三の著作には目を通していなかったのですが、今から思えば、「『鵡川の本流』説」が山田秀三の解釈だったわけで……。Wikipedia の記述は、未だに「静かで平和な川の上流」オンリーなので、いつか加筆してやろうと目論んでいます(←

※ 文中、一部敬称略

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