Albert Llovera というラリードライバーの話
パラリンピックがいつの間にか終わっていた?今日この頃ですが、Albert Llovera というラリードライバーの話でも。えーと、まず名前がちゃんと読めません(←)。"LLO" というスペルからはフランスかスペインか、その辺りの筈ですが……。ということで、どこかなー? と思ったわけですが……。
……アンドラでした(←)。
で、アンドラってどこ?
アンドラの場所をご存じ無い方向けに地図をご用意しました。この赤マルのあたりです。「で、スペインなの? フランスなの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、「いえ、アンドラです」と答えるしか無いわけで。
アンドラ公国(アンドラこうこく、カタルーニャ語: Principat d’Andorra)、通称アンドラ は、ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれた国で、フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするミニ国家である。首都はアンドラ・ラ・ベリャ。
(Wikipedia 日本語版「アンドラ」より引用)
国家元首からしてフランス・スペイン両国並立です。歴史
8世紀、シャルルマーニュがピレネー山中においたスペイン辺境領の一つ、ウルヘル伯領を起源とする。
のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起き、調停案として1278年、両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。その後フォワ伯の権限は、ガストン4世の死後に歴代のナバラ王に伯位とともに受け継がれ、フランス王となるブルボン家のアンリ4世に帰した。王政廃止後はフランス大統領がこれを引き継いだ。
1993年、アンドラは新憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となった。同年7月、国際連合に加盟。
(Wikipedia 日本語版「アンドラ」より引用)
てな感じで、1992 年までは独立国家ですら無かったという場所でした。で、何と読むの?
てなわけで、Albert Llovera の話です。日本では「アルベルト・ロベイラ」と書かれることが多いようですが、フランス風だと「アルベール・ヨーヴェラ」、スペイン風だと「アルベルト・ジョーヴェラ」あるいは「リョーヴェラ」あたりでしょうか。今年の WRC(世界ラリー選手権)第 2 戦 となった「ラリー・メキシコ」に出てきたのですが、彼はなんと下半身不随で、普段はラリーカーの代わりに車椅子で移動しているそうです。で、なんで車椅子に?
自動車事故で車椅子生活を余儀なくされるというケースは、例えばアレッサンドロ・ザナルディのケースなんかが有名ですが、Llovera の場合は自動車事故ではなく、サラエボで行われたアルペンスキー(ヨーロッパカップ)スーパー大回転のレース中(異説あり)、コースの整備員と激突して脊椎等を損傷し、下半身不随になってしまったのだと言います。Web サイトの記述を見ていると、Llovera の事故は「練習中」に起こった、とするものもあります。ただ、ダウンヒルであれば「トレーニング ラン」という練習があるのですが、スーパー大回転では「インスペクション」しかありません。Llovera は 100 km/h 以上の速度で整備員とぶつかったとする記述もあるのですが、であればインスペクションで 100 km/h を出した Llovera にも問題があったと言えるのでしょう。まだ 18 歳だったようですし、とにかくスピードが大好きだったのかも知れません。
ちなみに、先日 J SPORTS で放送された「WRC ラリーワールド 2010 #2」で本人が語ったとされる内容では、「サラエボ・オリンピックの時に~」とありますが、実際には 1984 年のオリンピックではなく、翌年のヨーロッパカップでの出来事だったようです。あまりに昔のことなので、本人も勘違いしてしまっているのでしょうか(←
で、どこが凄いの?
Llovera は 1966 年生まれの現在 43 歳ですが、17 歳の時にサラエボオリンピックに出場し、18 歳の時に同じサラエボで下半身不随の大怪我を負ったことになります。おそらくその前後に車の運転を初めて、4 年後の 1989 年には Rallye Gironella-Caserres(詳細不明ですが、スペインかアンドラの国内選手権でしょうか?)に優勝したと言いますから、その強靱な精神力にはひたすら敬服あるのみです。www.bojan.net
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