「1 個買うより 2 個買うほうが安い」のと同じ
さて、「片道運賃よりも往復運賃の方が安い」という、既定概念を打ち破る斬新な価格設定も見られた名古屋-大阪間の鉄道交通ですが、「どうせ潰れるなら官鉄を潰してから」という、これまた JAL もびっくりの経営戦略?を実践していた関西鉄道も、「鉄道国有法」の魔の手からは逃れることができず、結局「国鉄関西本線」となり、その後国鉄が分割民営化されて今に至ります。やはりと言うべきか、国営化されてからの関西本線は主役の座を追われ、亀山から加茂(京都府)の間は未だに非電化・単線のまま残されています。官鉄との「出血覚悟」のサービス合戦に敗退(法律により国有化)したかと思えば、あろうことかその後に勃興してきた近鉄との対決が表面化し、完膚無きまでに打ち負かされ、現在に至る、といったところになります。
雑草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
それを如実に物語る……というわけでも無いのでしょうが、亀山駅を出てすぐの地点で、車窓にはご覧のような風景が広がっていました。夏場には雑草が生い茂っているだろうと思わせます。
さて、宿場町の玄関駅「関」駅を過ぎ、峠を越えると「加太」駅に到着します。この「加太」駅ですが、「かぶと」と読みます。重箱読みですね。
なんだか、3~40 年から時が止まっているんじゃないか、と思わせる佇まいです。……いい感じですね。ある意味期待通りです。
雑草や 良くわからない 線路の跡(←
さて、「加太」駅と「柘植」駅の間でも、峠を越えないといけません。ここは 25 パーミルの急勾配が連続する「加太越え」と呼ばれる難所で、かつては「中在家」信号場があったところです。厳密には、今も「中在家」信号場は残っているそうですが、定期列車は全て通過しているそうです。信号場としての役目は事実上終わった、と言えるのかと思います。
「加太」駅を出発して、しばらく車窓を眺めていると、なにやら少し開けたところに出てきました。
見た感じ、以前は線路が敷設されていた跡のようにも思えます。
これを見て、「ああ、やはり中在家信号場は完全に廃止されてしまったのかな?」と思っていると、
待避線と、出発信号機が見えてきました。
ただ、この待避線、明らかに切れてるように見えるんですよね……。単に雑草が生い茂っているだけかも知れませんが、この写真からはプッツンと切れているようにも見えてしまいます。果たして真相はいずこに!?
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿