泰緬鉄道とは
というわけで、いつもの通り……。泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道である。日本軍によって建設・運行され、戦後、連合国軍によって、一部を残し撤去された。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は Thai-Burma Railway だが、英語圏ではむしろ Death Railway (死の鉄道)の名で知られる。存置部分は、タイ国鉄南部線の支線、ナムトック線として運行されている。
(Wikipedia 日本語版「泰緬鉄道」より引用)
といったものです(← 手抜き)。ちなみに「泰緬」の意味ですが、「泰」が「タイ」で、「緬」は「緬甸」の略です。「緬甸」=「ビルマ」ということになります。今頃気づいたのですが、「緬甸」=「Miandian」だそうですから、「ビルマ」よりも「ミャンマー」とか、あるいは「マンダレー」あたりに語感が近い感じですね。水島上等兵もびっくりでしょう(←)。ちなみに、水島上等兵のモデルとなった人物は 2008 年までご存命だったそうで。とりあえず、展示されていた路線図をつけておきましょう。
なぜ鉄道を建設する必要があったのか
さてさて。何故に日本軍はタイとビルマの間に鉄道を建設することになったのか、ということですが……戦時中、旧日本軍は海上輸送の危険を避けるべく1942年、ビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するため、建設を開始した。
(Wikipedia 日本語版「泰緬鉄道」より引用)
ということです。当時ビルマはイギリスの植民地で、援蒋ルートの中でも最後まで残った「ビルマルート」の拠点となっていました。「援蒋ルートって何?」という方もいらっしゃるかも知れないので、念のためちょいと引用を。名前の由来は「(中華民国総統の)蒋介石を援助するためのルート」。国民政府は、米英ソなどの援助を受けることで劣勢ながらも徹底抗戦を続けたため、日本は、長期間にわたり100万以上の兵力を中国大陸に貼り付けて置かねばならず、国力は疲弊した。太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦は、国民政府の原動力である援助物資の輸送路である援蒋ルートの遮断もその目的の一つであったと見られている。現在の日本では、単に「援蒋ルート」と言った場合、後述の「ビルマルート」を想定していることが多い。
(Wikipedia 日本語版「援蒋ルート」より引用)
とまぁ、こういうことです。日本軍は重慶に引き篭もった(←)蒋介石に手を焼いていたわけですが、「蒋介石がなかなか屈服しないのはビルマ経由で連合国から運ばれてくる援助物資のせいだ」という解釈に至り、「臭いニオイは元から断て」とばかりにビルマに侵攻した、といったところでしょうか。で、イギリスとしても、シンガポールはさておき、ビルマまで失っては「インド」という巨大な権益を失いかねないということで、「ビルマの戦い」は激越なものになった……ということだったかと思います。泰緬鉄道は、そんな激化するビルマ戦線への物資輸送等のため、建設が急がれた、ということになります。
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